漫画家の榎本由美の死因は何?病気だったのか調査

漫画家 榎本由美 インスタグラム 訃報
漫画家 榎本由美 インスタグラム

2025年11月12日、日本の漫画界に大きな衝撃が走りました。漫画家の榎本由美(えのもと ゆみ)さんが、60歳というあまりにも早い年齢で亡くなっていたことが、複数のメディアによって報じられたのです。

榎本さんは、1980年代のデビューから一貫して高い画力を誇り、90年代以降はレディースコミックの世界で活躍。特に『児童養護施設の子どもたち』をはじめとする社会派作品で知られ、人間の心の機微や社会の歪みを鋭く描き出してきました。

この突然の訃報は、榎本さんご本人の公式X(旧Twitter)アカウントを通じて、ご子息の手によって公表されました。10月21日までSNSの更新があった中での急逝であり、「一体何があったのか?」「死因は何だったのか?」と、ファンや関係者の間で深い悲しみと共に大きな動揺が広がっています。

この記事では、榎本由美さんの訃報の詳細、公表されている死因の背景、そして彼女がどのような人物であり、どのような功績を遺したのか、その生涯と作品、ネット上の反応に至るまで、現在判明している情報を徹底的に掘り下げ、検証していきます。

  • 榎本由美さんの訃報は、いつ、どのようにして公表されたのでしょうか?
  • 報じられている「急性呼吸不全」という死因は、どのような状態を指すのでしょうか?
  • 60歳という若さでの死去、闘病などの事実はあったのでしょうか?
  • 榎本由美さんとは、どのような経歴と人物像を持つ漫画家だったのでしょうか?
  • 結婚や家族(旦那さん、子供)についての情報は?
  • 『児童養護施設の子どもたち』やネットで話題の『美緒48歳』など、代表作とその影響力は?
  • 葬儀はどのように執り行われたのでしょうか?
  • この突然の訃報に対し、ネット上ではどのような声が上がっているのでしょうか?

これらの疑問一つひとつに、丁寧にお答えしていきます。

1. 漫画家の榎本由美が死去?

2025年11月12日、このニュースは多くの人にとって「寝耳に水」の出来事でした。複数の大手メディアが、漫画家・榎本由美さんの死去を一斉に報じたのです。享年60歳。その早すぎる死は、多くの人々に衝撃を与えました。

1-1. 息子がX(旧Twitter)で訃報を公表

この事実が公になったのは、榎本由美さんご本人が使用していたとされる公式X(旧Twitter)アカウントからの発信でした。しかし、その投稿主は榎本さん本人ではなく、ご子息を名乗る方だったのです。

2025年11月12日、その投稿は「私、榎本由美の息子です」という、非常に重い言葉から始まりました。続けて、「11月4日 母が永眠しました」と、榎本由美さんがその8日前に既に亡くなっていたという事実が、冷静な筆致で綴られていました。

この投稿は、単に死去の事実を伝えるだけでなく、葬儀についても言及。「葬儀は先日、親族のみで行いました」と、近親者のみで静かに見送りを終えたことが報告されました。

さらに、ご遺族の意向として「香典や供花につきましては、辞退させていただきたく、お気持ちだけ有り難く受け取らせていただけますと幸いです」と、外部からの弔意の申し出を丁寧に辞退する旨が記されていました。最後は「生前にお世話になった皆さま、母と仲良くさせていただいた皆さまにはこの場で心よりお礼申し上げます」と、深い感謝の言葉で締めくくられています。

母親を亡くした直後という計り知れない悲しみの中で、このように冷静かつ丁寧に、ファンや関係者に向けて報告を行ったご子息の誠実な対応がうかがえます。また、公式インスタグラム(Instagram)アカウントでは、榎本由美さんご本人の在りし日の写真が公開されたとも報じられています。

1-2. いつ亡くなった?判明している時系列

情報が錯綜しないよう、榎本由美さんの訃報に関して現在判明している時系列を詳細に整理します。この時系列こそが、今回の訃報がいかに「突然」であったかを物語っています。

  • 2025年9月18日: 榎本由美さんが自身のインスタグラムを更新。一部報道によれば、谷間が見える妖艶な格好をされたご自身の写真がアップロードされていたとされています。この時点では、SNS上でお元気そうな姿を見せていた可能性が考えられます。
  • 2025年10月21日: 榎本由美さんの公式X(旧Twitter)が最後の更新を迎えます。報じられている内容では、この最後の投稿はご自身の発信ではなく「リポスト投稿」だったとされています。しかし、少なくともこの日まで、SNSアカウントはアクティブな状態でした。
  • 2025年11月4日: 榎本由美さんが永眠。ご子息による公式発表で確定した日付です。享年60歳でした。
  • (11月4日~11月11日頃): ご遺族(親族のみ)によって葬儀が執り行われたと推察されます。ご子息が「先日、親族のみで行いました」と報告しています。
  • 2025年11月9日: スポニチアネックスの報道によると、榎本由美さんと展覧会を共同で開催中だった漫画家仲間の森園みるく氏が、この日に榎本さんの「急逝」を関係者などに報告していたとされています。
  • 2025年11月12日: ご子息が榎本由美さんの公式Xアカウントを更新し、11月4日の永眠を正式に公表。この投稿により、メディアが一斉に訃報を報じることとなりました。
  • 2025年11月12日~13日: スポニチアネックス、日刊スポーツをはじめとする各メディアが訃報を報道。ネット上で驚きと追悼の声が爆発的に広がりました。

この時系列から明らかなのは、SNSの最終更新からわずか約2週間半後に亡くなられていたという事実です。ファンにとっては、ほんの少し前まで活動の気配を感じていた人物が、既にこの世を去っていたという現実は、あまりにも受け入れ難いものだったでしょう。

1-3. 10月21日までSNSを更新していた衝撃

多くのファンやネットユーザーが最も衝撃を受けた点の一つが、この「10月21日までSNSが更新されていた」という事実です。

SNSは、現代においてその人物の「生存確認」や「元気な様子」を間接的に伝えるツールともなっています。その更新が10月下旬まであったということは、多くの人にとって「榎本由美さんは元気に活動している」という認識を抱かせるものでした。

ネット上のコメントでも、「え、10月までSNSしてたしびっくり」「あまりに突然すぎる…」といった、事態が飲み込めないという反応が数多く見受けられました。

また、報道で触れられた9月18日のインスタグラムの投稿内容(ご自身の写真)も、ファンにとっては「お元気そうな姿」として記憶に残っていた可能性があり、その記憶と「死去」という現実とのギャップが、衝撃をさらに大きなものにしています。

このタイムラグは、ご家族が葬儀を静かに執り行い、心の整理をつけるために必要な時間であったと推察されますが、知らされた側にとっては、その「突然死」の印象を強烈に裏付けるものとなりました。

1-4. 享年60歳の若さ

榎本由美さんは、享年60歳でした。「人生100年時代」とも言われる現代において、60歳という年齢はあまりにも早すぎます。

漫画家という職業は、キャリアが長く、70代、80代になっても第一線で活躍し続ける作家も少なくありません。榎本さんも、その画力と探究心から、これからさらに円熟した作品を生み出していくことが大いに期待されていました。

ネット上では、「60歳…若いですよね」「早すぎる」という、その若さでの死を惜しむ声が圧倒的多数を占めました。

また、「最近冷え込んで来たので亡くなられる著名人の方も増えた感じがする」「また60代の訃報か…」といった、昨今続く著名人の早すぎる訃報と重ね合わせ、季節の変わり目の体調変化を心配する声や、同世代の人々の訃報が続くことへのやりきれない悲しみを吐露するコメントも見受けられました。

2. 漫画家の榎本由美の死因は何?病気だった?

SNSも更新され、活動中であったと見られる中での60歳という若さでの急逝。当然ながら、多くの人々の関心は「なぜ亡くなったのか?」「死因は一体何だったのか?」という点に集中しました。

2-1. 死因は「急性呼吸不全」と漫画家仲間が報告

ご子息による11月12日の公式Xでの発表では、プライバシーへの配慮からか、具体的な死因については言及されていませんでした。

しかし、その後の報道によって、死因に関する情報が明らかになります。スポニチアネックスが2025年11月12日 19:13に配信した記事によると、ご子息の公表に先立つ11月9日の時点で、榎本由美さんの漫画家仲間が死因について言及していたというのです。

その人物は、榎本由美さんと二人展(展覧会)を共同で開催中だったという、漫画家の森園みるく氏です。森園氏の報告によれば、榎本由美さんの死因は「急性呼吸不全(きゅうせいこきゅうふぜん)」であったとされています。

この「急性呼吸不全」という情報が、2025年11月13日現在、榎本由美さんの直接の死因として公に報じられている唯一の情報となります。ご遺族からの公式な発表ではありませんが、共同でイベントを行うほど親しい関係者からの情報として、メディアはこれを報じています。

2-2. 急性呼吸不全とはどのような状態か

では、この「急性呼吸不全」とは、一体どのような状態を指すのでしょうか。これは特定の病気の名前ではありません。

医学的には、「何らかの原因によって、肺のガス交換機能(酸素を取り込み、二酸化炭素を排出する機能)が急激に低下し、その結果として生命を維持するために必要な酸素を血液中に十分取り込めなくなった状態」を指す診断名です。

つまり、「呼吸が急速にできなくなり、命に危険が及んだ状態」そのものを示す言葉であり、その背景には様々な原因が隠されています。

一般的な原因としては、以下のようなものが挙げられます。

  • 重度の肺炎(ウイルス性、細菌性など)
  • 心不全(心臓の機能が急激に低下し、肺に水がたまる)
  • 肺塞栓症(いわゆるエコノミークラス症候群。血栓が肺の動脈に詰まる)
  • 喘息の重積発作(非常に重い喘息発作が持続する)
  • 持病(間質性肺炎、COPDなど)の急激な悪化

「急性」という言葉が示す通り、慢性的に徐々に悪化するというよりも、比較的短い期間(数時間から数日)で急速に呼吸状態が悪化し、死に至るケースを指します。森園みるく氏が「急逝」という言葉を使っていることとも一致する、非常に恐ろしい状態です。

2-3. 持病や闘病の事実はあったのか?

急性呼吸不全に至った「根本的な原因」が何であったのか、例えば榎本由美さんが以前から特定の持病を患っていたのか、あるいは闘病中であったのかについては、ご遺族や関係者から一切公表されていません。

前述の通り、10月21日までSNSがアクティブであり、9月にはご自身の写真を投稿、さらに漫画家仲間と展覧会を開催中であったという事実からは、少なくとも対外的に「闘病中」であった様子はうかがえません。

このことから、以下の二つの可能性が考えられます。

  1. 公表されていなかっただけで、何らかの持病を抱えていた可能性。
  2. 持病はなく、肺炎や心不全、肺塞栓など、突発的な原因によって急激に体調が悪化した可能性。

現時点では、どちらであったかを判断する材料はありません。ネット上では様々な憶測が飛び交っていますが、信頼できる情報源からのものではなく、ご家族のプライバシーを尊重し、新たな公表を待つべきでしょう。

ただ一つ言えるのは、SNSの様子などから察するに、ご本人やご家族にとっても、非常に「突然の出来事」であった可能性が高いということです。

3. 漫画家の榎本由美とは誰で何者なのか?学歴・経歴とは?出身大学・高校はどこ?

榎本由美さんの訃報に際し、「作品は知っているが、ご本人のことは…」あるいは「ネットで流行った『あの画像』の作者だったのか!」と、改めて榎本由美さんという漫画家の人物像、そしてそのキャリアに関心が集まっています。

3-1. 榎本由美のプロフィール(WIKI風)

まず、現在報じられている情報やネット上の情報を元に、榎本由美さんのプロフィールをまとめます。

  • 氏名: 榎本 由美(えのもと ゆみ)
  • 生年: 1964年または1965年(2025年11月時点で享年60歳)
  • 職業: 漫画家
  • デビュー: 1986年(昭和61年)
  • デビュー雑誌: 新書館「グレープフルーツ」
  • 活動時期: 1986年 ~ 2025年
  • ジャンル: 少女漫画、レディースコミック、社会派作品、コミックエッセイなど
  • 代表作: 『児童養護施設の子どもたち』『愛のこどもたち』『壊れる家庭』『ああ赤ちゃんがほしい』『養護施設を追われた子ども』『ミセスベルベット』など
  • 晩年の活動: AIイラストレーションへの挑戦なども指摘されている

ネット上のコメントでは、榎本由美さんご自身の容姿にも注目が集まり、「すごくお綺麗な方だった」といった声も聞かれます。インスタグラムに投稿されたとされる写真が、その美しさを物語っていたのかもしれません。

3-2. 経歴の深掘り(1) 1986年デビュー期

榎本由美さんのキャリアは、1986年に新書館から発行されていた少女漫画誌「グレープフルーツ」で始まりました。今から約40年前のことです。

当時の作品を知る熱心なファンからのコメントによれば、デビュー作(あるいは初期の作品)は、当時の花形職業であったブティックの店員(いわゆる「ハウスマヌカン」)を主人公にした物語だったようです。

そのファンの方は、「『服を選んでいて遅れました』と店長にぬけぬけと言うシーンが印象に残ってます」と、当時の鮮烈な記憶を振り返っています。このことからも、単なる可愛らしい少女漫画ではなく、どこか芯の通った、あるいは少しシニカルな視点を持つ主人公を描いていたのかもしれません。

また、この頃から榎本由美さんの「画力」は群を抜いていたと指摘されています。「画力が素晴らしく今の言葉でいう所の意識高い系漫画家って感じでしたね」「本当に綺麗な絵を描く作家さんでした」といったコメントは、彼女の才能がデビュー初期から突出していたことの証左です。

3-3. 経歴の深掘り(2) 1990年代レディコミ期

1990年代に入ると、榎本由美さんの活動の主戦場は、少女漫画からレディースコミック(レディコミ)へと移っていきます。これは、バブル経済が崩壊し、女性の生き方や価値観が多様化し始めた時代背景とも一致します。

レディコミと聞くと、性的な描写やドロドロとした人間関係を思い浮かべる人も多いかもしれませんが、榎本由美さんの作品は一線を画していました。もちろん、そうした要素を含みつつも、彼女の真骨頂は「家族の問題」「人間の心理」「社会の歪み」といった、より深く重いテーマにありました。

報道で代表作として挙げられている『愛のこどもたち』や『壊れる家庭』といった作品群は、この時期に生み出されたとみられます。家族という閉鎖された空間の中で起こる亀裂や、人間の暗部を、その卓越した画力でリアルに描き出したのです。

また、『ミセスベルベット』といった作品のファンも根強く存在しており、「可愛い旦那様とエキセントリックなお友達」といったコメントから、シリアスな作品だけでなく、キャラクターの魅力を押し出したエンターテインメント作品も手掛けていたことがうかがえ、その作家としての幅広さを示しています。

3-4. 経歴の深掘り(3) 社会派作品へのシフト

榎本由美さんのキャリアを語る上で欠かせないのが、社会派作品への本格的なシフトです。その頂点にあるのが、代表作『児童養護施設の子どもたち』や『養護施設を追われた子ども』といった一連のシリーズです。

これらの作品は、単なるフィクションの枠を超え、児童虐待や貧困、施設の現実といった、日本社会が目を背けがちな問題に正面から切り込みました。ネット上のコメントで「リアルなので何度も読んでいます」「同じような境遇の子に何かできないか、施設職員になりました」という声があるように、榎本由美さんの作品は、読者に強烈な問題意識を植え付け、時にはその人の人生の選択にまで影響を与えるほどの力を持っていたのです。

漫画というエンターテインメントの力を最大限に使い、社会に問題を提起し続けたその姿勢は、ジャーナリスト的とも言えるものでした。

3-5. 経歴の深掘り(4) 晩年の挑戦「AIイラスト」

1986年のデビューから約40年。ベテランと呼ばれる領域に達しても、榎本由美さんの探究心は衰えなかったようです。

ネット上の一部コメントでは、「Twitterで流れてきたけど垢名にAIイラストてあったのが気になる」「かなりベテランぽいしそんなの使うとは思えないので」といった指摘が見られました。これは、榎本由美さんが晩年、賛否両論ある最新技術「AIイラストレーション」に挑戦していた可能性を示唆しています。

もしこれが事実であれば、60歳にして新しい表現技法を貪欲に学ぼうとするその姿勢は、驚嘆に値します。自身の確立した画風にあぐらをかくことなく、時代の変化を受け入れ、クリエイターとして進化し続けようとしていたのかもしれません。その矢先に「急性呼吸不全」で倒れたとすれば、あまりにも無念であったことでしょう。

3-6. 学歴(出身大学・高校)はどこ?

榎本由美さんの輝かしいキャリアについて触れてきましたが、その学歴(出身中学、高校、大学など)については、どうでしょうか。

今回の訃報に関する一連の報道や、ご子息による公表の中には、榎本由美さんの学歴に関する情報は一切含まれていませんでした。

漫画家やクリエイターの方々は、作品そのもので評価される職業柄、本名や出身校といった学歴を公表しないケースが非常に多くあります。榎本由美さんもその一人であった可能性が高いと考えられます。

インターネット上で検索しても、同姓同名の別人の情報などはヒットするものの、漫画家・榎本由美さんの学歴を裏付ける信頼できる情報源は見当たりませんでした。したがって、現時点での学歴に関する情報は「不明」というのが最も正確な回答となります。今後、追悼特集や関係者の回想録などで、こうしたパーソナルな情報が語られる可能性はあります。

4. 漫画家の榎本由美は結婚してた?旦那は誰?

榎本由美さんのプライベート、特にご結婚や配偶者(旦那さん)の存在についても、多くの関心が寄せられています。

今回の訃報が「榎本由美の息子です」と、ご子息によって公表されたという事実は、極めて重要です。この一点から、榎本由美さんにご子息がいることは確定であり、したがって「ご結婚されていた(あるいは、されていた時期があった)」ことは間違いありません。

しかし、そのお相手である旦那さんがどのような方(職業、年齢など)なのか、また、榎本由美さんが亡くなられた時点でご健在であったのか、といった詳細な情報については、一切公表されていません。

代表作の一つに『ああ赤ちゃんがほしい』といったタイトルがあることから、ご自身の不妊治療などのご経験が作品に反映されている可能性もゼロではありませんが、これはあくまで憶測の域を出ません。

ご家族のプライバシーに関わる深い領域であるため、ご遺族から公表されない限り、詳細は不明のままです。

5. 漫画家の榎本由美に子供はいた?何人で何歳?

ご結婚の事実と同様に、ご子供の存在についても、今回の訃報によってその事実が明らかになりました。

5-1. 訃報を伝えた「息子」の存在

榎本由美さんには、息子さんがいらっしゃいます。今回の訃報は、他ならぬこのご子息によって、榎本由美さんの公式Xアカウントを通じて発信されました。

母親である著名な漫画家の死を公表するという役割は、非常に重く、精神的にも辛いものであったと察します。それにもかかわらず、その公表文は非常に冷静かつ丁寧で、ファンや関係者への最大限の配慮が感じられるものでした。

「私、榎本由美の息子です」と名乗り、死去の事実、葬儀の報告、香典辞退の意向、そして生前のお礼を、過不足なく伝えています。この誠実な対応からは、ご子息の人柄と、榎本由美さんが築いてこられたご家庭の様子が垣間見えるようです。

5-2. 子供の人数や年齢は?

息子さんが少なくともお一人いらっしゃることは確定しましたが、ご子供がその息子さんお一人だけなのか、他にもご兄弟(姉妹)がいらっしゃるのか、といった正確な人数については公表されていません。

また、訃報を公表された息子さんのご年齢が何歳くらいなのか、といった情報も不明です。SNSアカウントの管理やメディア対応を任されていることから、既に成人され、社会人として分別のある年齢の方であるとは推察されますが、これも憶測に過ぎません。

これ以上の情報は、ご家族のプライバシーに属するため、現時点では「息子さんが少なくとも一人いらっしゃる」という事実のみが確定情報となります。

6. 漫画家の榎本由美の代表作品は何?

榎本由美さんの訃報に際し、彼女が遺した作品群が再び脚光を浴びています。そのキャリアは約40年に及び、社会に鋭く切り込む作品から、熱狂的なファンを持つカルト的作品、さらにはネットミームとなったものまで、非常に多彩です。

6-1. 『児童養護施設の子どもたち』の衝撃

榎本由美さんの名を語る上で、絶対に外すことができないのが『児童養護施設の子どもたち』および、その関連シリーズ(『養護施設を追われた子ども』など)です。

この作品が、単なる「ヒット作」の枠を超えていることは、ネット上のコメントから痛いほど伝わってきます。最も象徴的なのが、「(この作品を読んで)同じような境遇の子に何かできないか、施設職員になりました」という、ある読者の告白です。

一つの漫画作品が、読者の心を揺さぶるだけでなく、その人の職業選択、ひいては人生そのものを変えてしまうほどのインパクトを与えたのです。これは、エンターテインメントが持ち得る最大の力の一つと言えるでしょう。

「リアルなので何度も読んでいます」という声も多く、この作品が児童虐待や施設の現実といった、非常に重く、目を背けがちなテーマに、徹底した取材とリアリズムをもって向き合った作品であったことがうかがえます。榎本由美さんの作家としての社会的功績は、この作品群によって不動のものとなったと言っても過言ではありません。

6-2. 『愛のこどもたち』『壊れる家庭』

90年代のレディースコミック期に発表されたとみられる『愛のこどもたち』や『壊れる家庭』も、報道で代表作として挙げられています。

これらの作品は、当時のレディコミの主流であった恋愛や性描写だけでなく、「家族」という一見すると安全なコミュニティの内部で起こる歪みや崩壊、人間の複雑な心理を描いた作品であったと推察されます。後の『児童養護施設の子どもたち』につながる、榎本由美さんの社会や人間への鋭い洞察力が、この時期に培われたのかもしれません。

6-3. 『ああ赤ちゃんがほしい』

『ああ赤ちゃんがほしい』も代表作の一つとして報じられています。このタイトルから連想されるのは、子どもを望む夫婦の葛藤や、不妊治療といった非常にデリケートなテーマです。

もしこれがコミックエッセイ、あるいは実体験に基づいたフィクションであったとすれば、ご自身の経験を作品に昇華させ、同じ悩みを持つ多くの女性読者から強い共感を得ていた可能性があります。これもまた、榎本由美さんの「読者に寄り添う」姿勢を示す作品であったと考えられます。

6-4. 『ミセスベルベット』の熱狂的ファン

一方で、榎本由美さんの作家としての幅広さを示すのが『ミセスベルベット』という作品です。訃報に際し、「全巻持ってるのでショックです」「あの可愛い旦那様とエキセントリックなお友達とのお話の続きを楽しみにしていました」と、熱心なファンからの具体的なコメントが寄せられています。

社会派の重いテーマとは対照的に、キャラクターの魅力や独特の世界観で読者を惹きつける作品も生み出していたことが分かります。シリアスな作品を描く作家が、こうした魅力的なエンターテインメント作品も同時に手掛けていたという「幅の広さ」こそが、約40年という長い間、第一線で愛され続けた理由の一つなのでしょう。

6-5. 『美緒48歳』とネットミーム化現象

そして、今回の訃報で最も現代的な現象として浮かび上がったのが、『美緒48歳』という作品(あるいは一編のエピソード)の存在です。

ネット上のコメントでは、「代表作に美緒48歳があって驚いた」「割とニコニコで話題になってたので名前は知ってました」「最近ネットの一部で流行ってる画像の漫画を描いてる人だと亡くなってから知った」といった声が相次ぎました。

これは、榎本由美さんの作品の一部が、元の文脈から切り取られ、インターネット上の「ミーム(流行画像)」として、作者の名前とは切り離された形で拡散・消費されていたことを示しています。恐らく、強烈なインパクトを持つコマやセリフが、若い世代の間で面白おかしく使われていたのでしょう。

ベテラン作家のシリアスな社会派作品が、数十年を経てネットミームとして再発見されるという現象は、非常に興味深いものです。訃報に際し、「あの画像の作者が、実は『児童養護施設の子どもたち』を描いた偉大な作家だったのか」と、二重の驚きをもって榎本由美さんを再認識した層も少なくなかったはずです。

これが作家本人の意図したことであったかは分かりませんが、結果として、榎本由美さんの作品が時代や世代を超えて、多様な形で受容されていたことの証左と言えます。

7. 漫画家の榎本由美の葬儀はどうなる?喪主は誰?

これほどの功績を残した漫画家であれば、盛大なお別れの会などが期待されるところですが、ご遺族の意向は非常に静かなものでした。

7-1. 葬儀は親族のみで既に執行

ご子息によるXでの公表文(2025年11月12日)で、葬儀については「葬儀は先日、親族のみで行いました。」と、既に完了していることが明確に報告されています。

11月4日に亡くなられていることから、公表までの約8日間のうちに、近親者のみが集まり、静かに家族葬が執り行われたものと推察されます。メディアやファンが知る前に、ご家族だけでのお別れの時間を大切にされたのでしょう。

7-2. 香典・供花は辞退

ご遺族の意向は、香典や供花(お悔やみの花)についてもはっきりと示されています。

香典や供花につきましては、辞退させていただきたく、お気持ちだけ有り難く受け取らせていただけますと幸いです

この文面からは、「故人を偲ぶお気持ちは大変ありがたいですが、物品や金銭でのお気遣いはどうかご遠慮ください」という、ご遺族の強い意志が感じられます。ファンや関係者としては、この意向を最大限に尊重し、弔問や供物の送付などは厳に控え、心の中で静かに冥福を祈ることが求められます。

7-3. 喪主は誰だったのか?

親族のみで執り行われた葬儀において、喪主がどなたであったかについては、公式には発表されていません。

日本の慣習では、故人の配偶者が務めるのが一般的ですが、配偶者がご高齢の場合や既に他界されている場合などは、血縁の近いご子息などが務めるケースも多くあります。

今回は、ご子息がご遺族を代表して訃報の公表や各種の対応を行っていることから、このご子息が喪主を務められた可能性が最も高いと考えられます。しかし、これもまたご家族のプライベートな領域であり、公表されていない以上、あくまで推察に留まります。

8. 漫画家の榎本由美の死去に対するネット上の反応とは?

榎本由美さんの突然の訃報は、SNSやネットニュースのコメント欄を通じて、瞬く間に拡散され、数えきれないほどの反応が寄せられました。その多くは、故人の早すぎる死を悼み、その功績を称えるものでした。

8-1. 「60歳は若すぎる」突然の訃報に驚きの声

やはり、最も支配的だった反応は、60歳という若さと、10月までSNSが更新されていたという「突然さ」への驚きと戸惑いです。

  • 「60歳…若いですよねご冥福をお祈りします」
  • 「若いし10月までSNSしてたしびっくり」
  • 「本当に突然で、言葉が見つからない」
  • 「最近冷え込んで来たので亡くなられる著名人の方も増えた感じがする。ご自愛ください」

昨日まで元気に活動していた(ように見えていた)人物が、ある日突然、この世からいなくなってしまうという現実。その喪失感と、自分自身や周囲の人々の健康を顧みるような、切実なコメントが目立ちました。

8-2. 作品への感謝と影響「施設職員になった」

榎本由美さんの作品に深く触れてきた読者からは、感謝とリスペクトの言葉が溢れました。

特に『児童養護施設の子どもたち』が与えた影響は計り知れず、前述の「(この作品を読んで)施設職員になりました」というコメントは、多くの人々に衝撃を与え、「漫画が人生を変える」という事実を改めて示しました。

また、「故人のことは存じ上げませんでしたが、ニュースを見て興味を持ちました」「これを機会に生前の作品を拝見してみたいと思います」といった、訃報をきっかけに榎本由美さんの作品世界に触れようとする、新しい世代の読者の声も見られました。

8-3. 「綺麗な絵だった」「画力が素晴らしい」画風を偲ぶ声

榎本由美さんのキャリアをデビュー当時から知る、往年のファンとみられる人々からは、その「画力」を称賛する声が上がりました。

  • 「画力が素晴らしく今の言葉でいう所の意識高い系漫画家って感じでしたね」
  • 「本当に綺麗な絵を描く作家さんでした。レディコミでも何作か読みました」

社会派の重いテーマを扱ってもなお、その根底に流れる確かなデッサン力と美しい絵柄。その類稀なる才能が、多くの読者を魅了し続けた源泉であったことが再確認されました。美しい絵で描かれるからこそ、そのテーマの重さがより際立った、という側面もあったのかもしれません。

8-4. 世代と認知の交錯:「『美緒48歳』の作者」

今回の訃報で最も現代的だったのは、榎本由美さんの認知のされ方が、世代やコミュニティによって大きく異なっていたことが露呈した点です。

  • 「代表作に美緒48歳があって驚いた」
  • 「割とニコニコで話題になってたので名前は知ってました」
  • 「最近ネットの一部で流行ってる画像の漫画を描いてる人だと亡くなってから知った」

かたや、『児童養護施設の子どもたち』で社会に問題を提起した偉大な作家として認識する層。かたや、『美緒48歳』の強烈なコマがネットミームとして消費され、「面白い画像の作者」として認識する層。

この両者が、「榎本由美の死」という一つの訃報によって結びつきました。これは、作品が作者の手を離れ、時代を超えて多様な形で生き続けることを象徴しています。榎本由美さんが、90年代のレディコミファンから、現代のネットユーザーまで、いかに幅広い層に届いていたかを示す現象と言えるでしょう。

まとめ

漫画家の榎本由美さんが、2025年11月4日、「急性呼吸不全」のため、享年60歳という若さで急逝されていたことが明らかになりました。ご子息によって11月12日に公表され、葬儀は既に親族のみで執り行われたとのことです。

1986年のデビュー以来、その卓越した画力で読者を魅了。90年代以降は『児童養護施設の子どもたち』をはじめとする社会派作品で、多くの人々の心に、時には人生そのものに大きな影響を与え続けました。

その一方で、『ミセスベルベット』のような熱心なファンを持つ作品や、晩年にはネットミームとして『美緒48歳』が話題になるなど、その作風と影響力は非常に幅広く、多彩なものでした。さらに、AIイラストへの挑戦が噂されるなど、生涯現役のクリエイターとしての探究心を持ち続けた方でした。

10月21日までSNSが更新されていた中での突然の訃報は、あまりにも早すぎ、残念でなりません。榎本由美さんが遺した数々の作品は、彼女が投げかけた社会への問いと共に、これからも多くの読者の心に生き続けることでしょう。

榎本由美さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

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