【顔写真】安福久美子容疑者は何者?出身高校・大学はどこ?動機は好意と長女の病死か、夫と子供は誰か、勤務先のスーパーについて調査

安福久美子 顔写真 卒アル 週刊文春オンライン 事件
安福久美子 顔写真 卒アル 週刊文春オンライン

1999年11月に名古屋市西区で発生し、日本中を震撼させた「名古屋市西区主婦殺害事件」。
当時32歳という若さだった主婦・高羽奈美子さんが、ご自身の自宅アパートで、まだ2歳になったばかりの幼い長男の目の前で、何者かによって命を奪われたという、あまりにも痛ましい事件でした。

玄関ドアは無施錠で、室内には物色された形跡もない。テレビはつけっぱなしで、テーブルには食べかけのカップ麺が残されていました。
日常が突如として切り裂かれた現場の状況は、犯人逮捕への有力な手がかりが少ないまま、時間だけが過ぎていくことになります。

この事件は長らく「未解決事件」として、多くの人々の記憶の片隅に残り続けていました。
しかし、事件発生から約26年という、あまりにも長い歳月が経過した2025年10月31日、日本中に衝撃が走るニュースが報じられました。

愛知県警が、殺人の疑いで名古屋市港区に住むアルバイト・安福久美子(やすふく くみこ)容疑者(69)を逮捕したと発表したのです。

この26年越しの逮捕劇の裏には、最愛の妻を奪われた夫・高羽悟さん(69)の、想像を絶する苦悩と執念がありました。
悟さんは事件後、犯人逮捕の日のために、事件現場となったアパートの部屋を26年間、自費で借り続けていたのです。その費用総額は2200万円を超えるといいます。

逮捕の決め手となったのは、現場に残された血痕と安福容疑者のDNA型が一致したことでした。
そして、安福容疑者が自ら警察署に出頭してきたという事実が、世間をさらに驚かせました。

なぜ、26年もの間、彼女は逮捕されなかったのでしょうか。
なぜ、今になって自ら出頭したのでしょうか。

そして何よりも、逮捕された安福久美子容疑者とは、一体どのような人物なのでしょうか。
報道によれば、彼女は被害者・奈美子さんの夫である高羽悟さんの「高校時代の同級生」だったというのです。

この記事では、長きにわたり謎に包まれていたこの事件の真相に迫るため、安福久美子容疑者の人物像、高羽悟さんとの驚くべき関係、そして報道されている犯行動機について、最新の情報を基に徹底的に調査し、深く掘り下げていきます。

26年の時を経てついに逮捕!名古屋市西区・高羽奈美子さん殺害事件の概要

高羽奈美子 東海テレビ NEWS ONE
高羽奈美子 東海テレビ NEWS ONE

今回の逮捕を理解するために、まずは26年前に時計の針を戻し、事件がどのように発生し、なぜ「未解決」とされてきたのか、そして被害者遺族である高羽悟さんがどのようにこの歳月と向き合ってきたのかを、詳しく見ていく必要があります。

事件発生(1999年11月13日)の凄惨な状況

1999年11月13日、土曜日の午後2時半ごろ。その悲劇は、名古屋市西区稲生町(いのうちょう)のアパートで起こりました。
このアパートの2階に住む主婦・高羽奈美子さん(当時32歳)が、首や手などから血を流して倒れているのを、お裾分けの柿を届けに来たアパートの大家さんが発見しました。

発見時、奈美子さんはトレーナーにジーパンという普段着の姿で、廊下から居間に向かってうつ伏せに倒れ込んでいました。首には複数の刺し傷があり、その死因は失血死でした。
奈美子さんの手には、抵抗した際にできる「防御創」とみられる傷が残されており、犯人との間で激しいもみ合いがあったことが推測されました。

さらに衝撃的だったのは、奈美子さんのすぐそばで、当時2歳1ヶ月だった長男の航平さんが、子供用の椅子に座らされたまま無事な姿でいたことです。
室内には物色された形跡はなく、テレビはつけっぱなしの状態。テーブルの上には、お湯を吸ってふやけたカップ麺と、航平さんが朝食時に残した味噌汁が置かれたままでした。

犯行は、その日の正午から午後1時の間に行われた可能性が高いとみられています。
なぜなら、午前11時40分頃に奈美子さんが近所の小児科から帰宅し、正午頃にアパートの別の住人と会話を交わしている姿が確認されているからです。
その後、午後1時までの間に、別の住民が奈美子さんの部屋から「タンスを動かすような大きな物音」と「階段を駆け下りる足音」を聞いていました。

現場には、犯人特定につながる重要な証拠がいくつか残されていました。
玄関先や階段、アパートから約500メートル離れた稲生公園に至るまでの路上には、点々とした血痕が残されていました。これは、犯人が奈美子さんともみ合った際に自身も手を負傷し、血を垂らしながら逃走したことを示しています。
また、奈美子さん宅の洗面所や稲生公園の手洗い場では、犯人が血を洗った形跡も見つかっています。

DNA型鑑定の結果、これらの血痕は奈美子さんとは異なる「B型」の血液型であることが判明。
さらに、現場には24センチの韓国製婦人靴の靴跡も残されていました。
これらの証拠から、捜査本部は「犯人は当時40〜50代の女」という犯人像を割り出し、似顔絵も作成して捜査を進めましたが、容疑者の特定には至りませんでした。
なぜ、これだけの証拠がありながら、26年も逮捕に至らなかったのか。その一つの要因として、被害者の奈美子さん自身や夫の悟さんの交友関係を徹底的に洗っても、恨みを買うようなトラブルや不審な人物が全く浮上してこなかったことが挙げられています。

夫・高羽悟さんの26年間の執念と現場保存の重み

最愛の妻を、幼い息子の目の前で、何者かによって理不尽に奪われた夫・高羽悟さん(69)。
その日から、悟さんの「風化との戦い」が始まりました。

「いつか犯人が捕まった時、現場検証ができなければ真相が闇に葬られてしまう」。
その一心で、悟さんは事件発生当時のままの状態を維持するため、事件現場となったアパートの一室を、事件後から現在に至るまで26年間、自費で借り続けてきました。
その家賃は月額およそ7万円。これまでに支払った総額は、実に2200万円を超えると言われています。

部屋の壁にかけられたカレンダーは、事件があった「1999年11月」のまま。奈美子さんが好きだった松田聖子さんやチャゲ&飛鳥さんのCDも、当時のまま残されています。
悟さんは、この部屋に残された犯人のDNA(血痕)が、いつか科学捜査の進歩によって犯人特定に結びつくと信じ続けていました。

悟さんの戦いは、それだけではありませんでした。
「遺族にとって風化が一番怖い」。その思いから、報道機関の取材にも一貫して毅然とした態度で応じ続けました。
「自分が悲しんでいる姿を、絶対に犯人に見せたくない。ざまあみろと思わせたくない」と語る悟さんは、情報提供を呼びかけるビラ配りも続けました。

さらに、悟さんは2009年に発足した殺人事件被害者遺族の会「宙(そら)の会」の代表幹事を務め、他の未解決事件の遺族らと共に、殺人事件の公訴時効(当時は15年、のちに25年)の撤廃を国に強く働きかけました。
この粘り強い活動が実を結び、2010年4月、ついに殺人罪などの公訴時効を撤廃する改正刑事訴訟法が成立します。

皮肉なことに、もしこの法改正がなければ、奈美子さんの事件は2014年(時効15年)か2024年(時効25年)に時効を迎え、今回の逮捕劇は起こり得ませんでした。
悟さん自身の社会的な活動が、結果として、妻の事件の真相究明への道を法的に繋ぎ止めたのです。

そして2024年11月、事件から25年という節目に、悟さんは「犯人が捕まったという報告を、一刻も早く(奈美子に)できれば」と語っていました。
その言葉から1年も経たないうちに、26年間の執念が実を結ぶことになったのです。

逮捕された安福久美子容疑者(69)とは何者?夫・悟さんとの驚愕の関係

安福久美子 顔画像 ソフトテニス部 卒アル 週刊文春オンライン
安福久美子 顔画像 ソフトテニス部 卒アル 週刊文春オンライン

2025年10月31日、突如として逮捕された安福久美子容疑者。
彼女は一体どのような人物で、高羽悟さんとはどのような関係だったのでしょうか。報道されている情報を基に、その人物像に迫ります。

安福久美子容疑者の顔写真(卒アル)は公開された?

高羽悟 卒アル 文春オンライン
高羽悟 卒アル 文春オンライン

安福久美子容疑者(69)の現在の顔写真は、2025年11月8日時点で、警察や大手報道機関からは公式に公開されていません。
しかし、「週刊文春オンライン」が、安福容疑者と高羽悟さんが通っていた高校の卒業アルバムを独自に入手したとして、高校時代の安福容疑者の顔写真を掲載しています。

掲載されているのは、ソフトテニス部の集合写真やクラスの集合写真の一部です。
これに対し、当時の同級生からは、「凄く大人しい人」「あんまり人と喋らない印象」「地味で口数が少ない」といった証言が相次いでいます。
一方で、「クラスに女子が少なく目立たない子が多い中で、感じは良かった」「彼女のことを好きになる男子がいてもおかしくなかった」という声も報じられています。

これらの証言から浮かび上がるのは、「大人しく、目立たない」という人物像であり、26年後に凄惨な殺人事件の容疑者として名前が挙がることなど、当時の関係者にとっては誰も想像し得なかったであろうことがうかがえます。

安福久美子容疑者の経歴と学歴(高校・大学)

安福久美子容疑者の経歴については、断片的ながら以下のような情報が報じられています。

  • 氏名: 安福 久美子(やすふく くみこ)
  • 旧姓: 山口(やまぐち)
  • 年齢: 69歳(1956年生まれ)
  • 出身高校: 愛知県立惟信(いしん)高校(名古屋市港区)。報道によれば、当時は県立の進学校であり、緩やかな校風だったとされています。
  • 出身大学: 高校卒業後、1年間の浪人生活を経て、愛知県立大学に入学したと報じられています。
  • 職業: 逮捕時はアルバイト。名古屋市内の大型スーパーで事務員として勤務していたと供述しているようです。また、事件当時も生活関連商品を製造・販売する会社で事務の仕事をしていたと報じられています。

進学校から国公立大学(愛知県立大学は当時、県立の女子大)へ進んだ経歴は、当時の同級生の証言とも矛盾しません。

夫・高羽悟さんとの「同級生」という驚愕の関係性

今回の逮捕で最も日本中を驚かせたのが、安福容疑者と被害者の夫・高羽悟さんとの関係性です。
二人は、前述の通り、愛知県立惟信高校の同級生でした。

それだけではなく、二人とも「ソフトテニス部(軟式テニス部)」に所属しており、部活動の仲間でもあったのです。
高羽悟さんは、逮捕の一報を刑事から受けた際のやり取りを、メディアの取材にこう語っています。

刑事:「悟さん。今夜、犯人を逮捕します。悟さんの関係者です。誰だと思いますか?」
悟さん:「高校の同級生?」
刑事:「当たりです」

悟さんは、なぜ「高校の同級生」と即座に答えたのでしょうか。
そして、刑事から「当たりです」と言われた後、悟さんがある名前を挙げると、刑事は「なぜ分かったんですか」と驚いたといいます。

悟さんは「逆恨みされるとしたら、彼女しかいないと思った」と語っています。
この言葉の裏には、単なる「同級生」という言葉だけでは説明がつかない、二人だけの過去がありました。

安福久美子容疑者の動機は一体何?悟さんへの一方的な好意と嫉妬か

捜査の最大の焦点は、安福容疑者の動機です。
なぜ、面識すらなかった奈美子さんを、それも幼い息子の目の前で殺害するという、あまりにも残虐な凶行に及んだのでしょうか。
報道されている情報を紐解くと、高羽悟さんへの一方的で、歪んだ執着心が浮かび上がってきます。

高校・大学時代の執着?バレンタインチョコと手紙、そして号泣

高羽悟さんが「彼女しかいない」と思った背景には、高校・大学時代にさかのぼる安福容疑者からの一方的なアプローチがありました。

  • 高校2年・3年時: 悟さんは安福容疑者から2年連続で、バレンタインデーに「好きです」と書かれた手紙付きのチョコレートを受け取ったといいます。当時、悟さんには安福容疑者の親友(別の女性)に好意を寄せていたため、その告白をやんわりと断っていました。
  • 大学時代(悟さん進学後): 悟さんは愛知大学(豊橋市)に進学し、テニスを続けていました。一方、安福容疑者(当時は浪人中)は、悟さんのテニスの試合に友人を連れて応援に来ていたことがあったようです。
  • 大学での待ち伏せと号泣: さらに安福容疑者は、連絡もなしに、名古屋から2時間近くかかる豊橋市の大学キャンパスまで押しかけ、テニスの練習が終わるまで悟さんを待ち伏せしていたことがあったといいます。悟さんが「(こういうことをされると)困る」と大学近くの喫茶店で諭したところ、安福容疑者は人目もはばからずに突然号泣し、悟さんを困惑させたと報じられています(週刊文春)。

これらのエピソードは、当時の「大人しい」という同級生の証言とは裏腹に、特定の相手に対する非常に強い執着心を持っていた可能性を示唆しています。
悟さんが「ストーカー行為」とも表現したこれらの出来事の後、安福容疑者が悟さんの前に現れることはなくなったといいます。

事件直前のOB会での再会が引き金になった可能性

大学時代の出来事から約24年(あるいは25年)の空白期間を経て、二人は再び顔を合わせることになります。
それは、事件が発生する約5ヶ月前(1999年6月)とも、あるいは1年ほど前(1998年)とも報じられている、高校のソフトテニス部のOB会(同窓会)でのことでした。

約20人ほどが集まったその会で、安福容疑者は自ら悟さんに明るく話しかけてきたといいます。
「私も結婚して、子育てしながらバリバリ働いて、結構大変なんだよ!」

悟さんは、高校時代の暗い印象とは打って変わったその様子に、「大人になって性格が変わったんだな」「(自分のことを)吹っ切れて良かった」と安心したと語っています。
そして悟さん自身も、安福容疑者に「若い嫁さん(奈美子さん)をもらって、子ども(航平さん)が生まれた」と、自身の幸せな家庭の状況を話したとされています。

しかし、この何気ない「幸せの報告」が、安福容疑者の心の奥底に眠っていた古い情念に、再び火をつけてしまった可能性が指摘されています。

一部の報道(NEWSポストセブン、佐藤誠氏の分析)では、このOB会での再会こそが事件の引き金になったのではないか、という見方が示されています。
安福容疑者が語った「バリバリ働いて大変」という言葉が、実は自身の結婚生活や家庭への不満の裏返しであり、悟さんの幸せそうな姿を目の当たりにして、強烈な嫉妬や「なぜ自分だけが」という感情が芽生えたのではないか、という分析です。

さらに、このOB会では、悟さんが「土日は不動産の仕事で、火・水が休み」という自身の勤務形態を話していた可能性が報じられています(読売新聞)。
もしこれが事実であれば、犯行日である「土曜日」(1999年11月13日)は、悟さんが確実に自宅に不在である日を狙った、計画的な犯行であった可能性が極めて高くなります。

被害者の奈美子さんとは面識がなかったという事実

捜査関係者や悟さんの証言によれば、安福容疑者と、被害者である高羽奈美子さんとの間には、一切の面識がなかったとみられています。
この事実は、動機を考える上で非常に重要です。

もし面識がないとすれば、奈美子さん自身への直接的な怨恨は考えにくいことになります。
動機は、悟さんに向けられたもの、あるいは悟さんが手に入れた「幸せな家庭」そのものに向けられたものだったのでしょうか。

臨床心理士は(NEWSポストセブンにて)、悟さんに拒絶されたと感じた安福容疑者が「憎しみと愛着」という相反する感情(アンビバレント)を抱き続け、OB会での再会によってその情動が噴出。その矛先が、悟さん本人ではなく、彼が最も大切にしている存在(=妻・奈美子さん)に向けられたのではないか、と分析しています。
悟さんへの歪んだ執着が、面識のない奈美子さんへの一方的な憎悪となり、凶行に至ったのだとすれば、あまりにも身勝手で理不尽な動機と言わざるを得ません。

長女の病死が影響?家庭環境に何があったのか

安福容疑者の内面を理解しようとする際、彼女自身の家庭環境も無視できない要素として報じられています。
中日新聞などの報道によれば、安福容疑者は事件(1999年)の約10年前に、当時幼稚園に通っていた幼い長女を、重い血液の病気で亡くしていたというのです。

さらに、長女を亡くしたことで親族からひどく叱責され、落ち込んでいた姿を見たという近隣住民の証言や、同居する親族との折り合いが悪く、一時マンションに引っ越した、という情報も報じられています。

この「長女の死」という悲劇的な出来事が、事件の動機に直接どう結びつくのかは、現時点では全くの不明です。
しかし、こうした個人的な不幸や、自身の家庭環境(報道によれば、同居親族との関係など)に対する何らかの不満やストレスを抱えていた可能性は否定できません。
(ゴゴスマでは、金子恵美氏が「お子さんが亡くなったとしても同情の余地はない」「2歳の男の子から親を奪うなんて理解できない」と厳しくコメントしています)

OB会で再会した悟さんの「幸せな家庭」の話が、長女を失い、家庭内で複雑な思いを抱えていたかもしれない安福容疑者にとって、耐え難いものに映った可能性も、動機を解明する上で慎重に捜査が進められているものと推測されます。

安福久美子容疑者の結婚相手の夫は誰?子供は何人いるのか

OB会で「私も結婚して子育ても仕事もバリバリやっている」と語っていた安福容疑者。
彼女が築いた家庭は、どのようなものだったのでしょうか。

夫はエリート?名古屋大学卒の元一流メーカー勤務

週刊文春の報道によれば、安福容疑者の夫(1歳年下)は、名古屋大学経済学部を卒業した秀才であったとされています。
大学の同級生は「クソがつくほど真面目」と評しており、卒業後は県内の一流自動車部品メーカーに就職したエリートだったようです。

夫妻は1994年(事件の5年前)、名古屋市港区に分譲マンションを購入しています。
夫は事件後の2008年頃から東日本大震災(2011年)の頃にかけて、山形県長井市にある自動車部品メーカーの関連会社に、経営企画部長として出向していたという情報もあります。

安福容疑者がOB会で語った「バリバリ働いている」という言葉は、エリートの夫を持ち、自身も働きながら家庭を切り盛りしているという自負の表れだったのかもしれません。

子供は2人(長男・次男)、長女は過去に病死

安福容疑者と夫の間には、前述の通り、事件の約10年前に亡くなった長女のほかに、二人の息子がいると報じられています。
1989年生まれの長男と、1993年生まれの次男です。

事件当時(1999年)は、長男が10歳(小学4年生)、次男が6歳(幼稚園児または小学1年生)だった計算になります。
安福容疑者は、まさに二人の息子の育児真っ最中に、あの凶行に及んだ可能性が高いことになります。

報道(文春、ポストセブン)によれば、安福容疑者は「教育熱心」であったとされ、学校行事にも積極的に参加していたといいます。
一方で、事件翌年の2000年4月、息子の小学校の入学式の日に、自分の子供が同級生の鉛筆で軽く突っつかれた(大した怪我ではなかった)ことに激高し、相手の保護者に「謝りに来い」と詰め寄り、メロンを持参して謝罪に訪れた保護者を「別に血が出ているわけじゃないから結構です!」と、受け取りを拒否して激しく罵倒した、というトラブルも報じられています。

このエピソードは、子供への思いが強かったとも、あるいは「粘着質な人だった」とも受け取れる、彼女の人物像の複雑な一面を示しているようです。

安福久美子容疑者の自宅住所はどこ?名古屋市港区の一軒家?

安福容疑者は、事件発生から逮捕されるまでの26年間、事件現場の西区から遠くない名古屋市港区内で生活を続けていました。その居住地は、時期によって二箇所が報じられています。

事件当時の居住地(港区のマンション)

1994年、安福夫妻は名古屋市港区にある分譲マンションの一室を購入しています。
事件当時(1999年)、安福容疑者はこのマンションから、事件現場(西区稲生町)に通ったとみられています。
現場からは直線距離で約10キロ、車で20〜30分ほどの距離です。

当時の近隣住民は、安福容疑者について「会えば挨拶も返してくれるし、特段変わっている人には見えなかった」と証言しています。
一方で、「旦那さんは(出向などで)ほとんど自宅におらず、長期の出張に行っていると話していた」「家族みんなで一緒にいたり、夫婦揃っていたりするところを見たことがない。ちょっと不思議な家族だった」という証言(ポストセブン)もあり、家庭内がどのような状況だったのか、詳細は不明です。

現在の自宅(港区の一軒家)と近隣の評判

事件から約18年後の2017年頃(約8年前)、安福容疑者一家は、夫の実家である同じ港区内の戸建て(一軒家)に転居しました。
ここは、逮捕時の住所(名古屋市港区東海通5)として報じられている場所です。

驚くべきことに、この新しい自宅での安福容美者の存在感は、極めて希薄だったようです。
近隣住民からは、以下のような証言が相次いでいます。(ポストセブン、文春報道より)

  • 「回覧板や町内会の集金の対応は、土日でも平日でもいつも旦那さん」
  • 「家から奥さん(安福容疑者)が出入りするのを見たことがないので、住んでいないのかと思っていた」
  • 「あの家は、30年くらい空き家になっているんじゃないの?たまに業者が剪定してるけど、誰も住んでいないと思うよ」
  • 「(夫は)ご夫婦でいるところを見たことがない」

これらの証言は、安福容疑者がこの10年近く、まるで息を潜めるかのように、人目を避けて生活していた可能性を示唆しています。
事件から長い年月が経過しても、いつか捜査の手が伸びるかもしれないという不安を抱え、ひっそりと暮らしていたのでしょうか。

安福久美子容疑者のアルバイト勤務先はどこのスーパーだった?

安福容疑者の逮捕時の職業は「アルバイト」と報道されています。
捜査関係者への取材や、本人の供述として、名古屋市内の大型スーパーで事務員として働いていた、と報じられています。

また、別の報道(中日新聞)では、事件当時(1999年)、生活関連商品を製造・販売する名古屋市内の会社で事務の仕事をしており、事件後も男児2人を育てながら同じ職場に勤務していた、とも伝えられています。

長年にわたり事務員として働き、主婦業と両立する生活を送っていたとみられます。
(※2025年11月8日現在、具体的なスーパーの店舗名や、勤務していた会社の名前は、公的機関や大手報道機関からは公表されていません。)

安福久美子容疑者の罪状と今後の刑罰はどうなる?

26年の時を経て逮捕された安福容疑者。
彼女が法的にどのような罪に問われ、どのような刑罰が予想されるのか、詳しく見ていきます。

殺人罪(刑法199条)と時効撤廃という「巡り合わせ」

安福容疑者の逮捕容疑は「殺人罪」(刑法第199条)です。
その法定刑は「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役(2025年6月からは拘禁刑)」と、非常に重いものです。

ここで改めて注目すべきは「公訴時効」の問題です。
事件が発生した1999年当時の殺人罪の公訴時効は「15年」でした(後に「25年」に延長)。
もし法律が変わらなければ、この事件は2014年(あるいは2024年)に時効が成立し、「未解決事件」として捜査は完全に打ち切られ、安福容疑者が罪に問われることは永遠になかったはずです。

しかし、2010年4月、高羽悟さんら「宙の会」の遺族たちの必死の訴えが実り、殺人罪や強盗致死罪など、人を死亡させた罪の公訴時効を撤廃する改正刑事訴訟法が成立・施行されました。
(この法改正については、当時法務大臣政務官だった松島みどり衆院議員も、自身のXで「時効撤廃してよかった」と、悟さんの26年間の活動に言及しています)

高羽悟さん自身が尽力した「時効撤廃」によって、妻である奈美子さんの事件の捜査が継続され、26年後の逮捕に結びついたのです。
これは、単なる偶然では片付けられない、悟さんの執念がもたらした「巡り合わせ」と言えるかもしれません。

予想される刑罰(裁判員裁判)

安福容疑者は容疑を認めていると報じられており、今後、検察によって起訴されれば、「裁判員裁判」で審理されることになります。

裁判では、以下の点が量刑を判断する上で重要なポイントになると考えられます。

  • 計画性: OB会で悟さんの勤務形態(土日不在)を聞き出し、犯行日(土曜)を選んだとされる点。凶器(刃物)を準備していた点。
  • 犯行の残虐性: 幼い子供の目の前で、首などを複数回刺すという残忍な手口。
  • 動機の身勝手さ: 高羽悟さんへの一方的な執着や嫉妬から、面識のない奈美子さんを狙ったとされる点。
  • 結果の重大性: 奈美子さんの命が奪われ、夫と幼い子供の人生が根底から覆された点。
  • 犯行後の状況: 26年間にわたり逃亡(潜伏)を続けていた点。

これらの点を考慮すると、非常に重い刑罰が予想されます。
一方で、裁判では、安福容疑者側から、自ら出頭したこと、容疑を認めていること、長女を亡くしていたという家庭環境などが、情状酌量を求める材料として主張される可能性もあります。

しかし、26年間の遺族の苦しみを鑑みれば、厳しい判決が下される可能性は高いとみる専門家も多いようです。

なぜ今になって出頭?安福久美子容疑者逮捕までの捜査経緯

26年間、名古屋市内で息を潜めていた安福容疑者が、なぜ2025年10月30日というタイミングで自ら出頭したのでしょうか。
その裏には、愛知県警の執念の捜査と、科学捜査の進歩がありました。

「絶対捕まえる」担当刑事の執念と捜査の再加速

事件が大きく動いたきっかけの一つに、2024年4月(昨年春)に愛知県警西署の捜査本部に着任した、新しい担当刑事の存在があったと報じられています(CBC、文春)。

高羽悟さんの証言によれば、その刑事は坊主頭で少し強面の人物で、悟さんに対し「私がいる間に絶対に犯人を捕まえます」「ビラ配りする情報より、今、西署にある(過去の)情報の中に絶対犯人がいると思う。一つ一つしらみつぶしにあたります」と力強く宣言したといいます。

この宣言通り、捜査本部は過去25年間で蓄積された延べ10万人以上の捜査員、5000人以上の聴取記録という膨大な資料をゼロから徹底的に洗い直しました。
そして、「捜査を詰め切れていない女がいるはず」と、関係者を数百人に絞り込み、再捜査を進めていったのです。

この「しらみつぶし」の捜査の網の中に、高羽悟さんの同級生として、安福久美子容疑者の名前が浮上してきたのです。

DNA鑑定の進展と「当初の拒否」から「出頭」へ

捜査本部が安福容疑者にたどり着いたのは、2025年に入ってからとみられています。
複数の報道(読売新聞、東海テレビ、朝日新聞など)を総合すると、逮捕までの時系列は以下のようになります。

  1. 2025年 夏頃(8月以降): 愛知県警が安福容疑者を重要参考人としてリストアップ。自宅を訪れ、複数回にわたり任意で事情聴取を行う。
  2. 聴取時: 警察は安福容疑者に対し、DNA型鑑定のための試料(唾液など)の任意提出を求める。しかし、安福容疑者はこれをかたくなに拒否。
  3. 2025年10月30日(午前): 捜査員が再度、安福容疑者に接触。安福容疑者は、それまでの態度を一転させ、DNAの任意提出に応じる。
  4. 同日(10月30日)午後: DNA試料を提出した数時間後、安福容疑者は自ら一人で西警察署に出頭。「事件への関与」をほのめかす供述を始める。
  5. 2025年10月31日: 提出されたDNA試料と、26年前に現場に残された血痕のDNA型が一致したことが判明。捜査本部は殺人容疑で安福容疑者を逮捕。

この流れから見えてくるのは、安福容疑者が、DNA提出に応じた時点で「もう逃げられない」と観念した可能性です。
DNA鑑定の精度は1999年当時とは比較にならないほど向上しており、「B型」という血液型情報しかなかったものが、現在では個人をほぼ100%特定できます。

安福容疑者は、DNA鑑定という「科学的な証拠」を突きつけられる前に、自ら出頭する道を選んだのではないか、と推測されます。
「8月に警察が来て、捕まってしまうことを覚悟した」「26年間、毎日不安だった。事件に関する新聞も見られなかった」という供述(報道)が、その切迫した心理状態を物語っています。

安福久美子容疑者が在日韓国人という噂は本当か?

逮捕直後から、インターネット上の一部では「安福久美子容疑者は在日韓国人(または中国人)ではないか」といった根拠のない噂が拡散されました。
このようなデマはなぜ発生し、事実はどうなのでしょうか。中立的な立場で検証します。

噂の出所(韓国製の靴、苗字など)

このような国籍に関する憶測が流れた背景には、主に以下の2つの情報があったと考えられます。

  1. 韓国製の靴: 事件当時、現場に残された犯人の足跡が「24センチの韓国製婦人靴」のものであったと報じられていたため。
  2. 珍しい苗字: 「安福(やすふく)」という苗字が比較的珍しく、また「安」や「福」といった漢字が、中国や韓国の姓や地名を連想させるため。(例:中国に安福県という地名がある、など)

旧姓や家族構成から見る事実関係の検証

しかし、これらの噂には客観的な根拠が乏しいと言わざるを得ません。
第一に、安福久美子容疑者の旧姓が「山口」(やまぐち)であることが、高羽悟さんの証言や週刊文春の報道で判明しています。「山口」は日本固有の一般的な苗字です。

第二に、「安福」という苗字も、日本国内に約3,700人存在し、特に関西や中国地方にルーツを持つとされる日本の苗字の一つです。

第三に、「韓国製の靴」についてですが、事件が発生した1990年代後半は、すでに安価でデザイン性の高い韓国製品(衣類、靴、雑貨など)が日本国内に広く流通していました。当時の日本人が韓国製の靴を履いていたとしても、何ら不自然なことではありません。

警察や大手報道機関の発表においても、安福容疑者の国籍について特筆すべき点(外国籍であるなど)は一切報じられていません。
以上のことから、「在日韓国人である」という噂は、いくつかの断片的な情報を都合よく結び付けた、客観的根拠に欠けるデマである可能性が極めて高いと言えます。

安福久美子容疑者逮捕へのネット上の反応まとめ

26年越しの逮捕劇、そして被害者の夫の「同級生」だったという衝撃の事実に、インターネット上やSNSでも、驚き、怒り、そして安堵など、様々な反応が渦巻いています。

夫・悟さんへの称賛と安堵の声

最も多く見られたのは、26年間、事件と向き合い続けた夫・高羽悟さんへの称賛とねぎらい、そして安堵の声です。
「ご主人の執念が報われて本当に良かった」「26年間、現場を借り続けた重みは計り知れない」「時効撤廃に尽力したご本人の事件が、その法律で救われたことに涙が出た」「本当にお疲れ様でした」
といった、悟さんの心の苦しみに寄り添うコメントが溢れました。

また、「DNA鑑定など科学捜査の勝利だ」「諦めなかった警察官、特に新しい担当刑事の執念がすごい」と、捜査関係者への称賛の声も多く上がっています。

動機への恐怖と捜査への疑問

一方で、安福容疑者が悟さんの同級生であり、その動機が「高校時代からの執着」や「嫉妬」である可能性が報じられると、社会には大きな衝撃が走りました。
「動機が身勝手すぎる。理解不能」「26年間も普通の顔をして、スーパーで働いて、家族と暮らしていたのが恐ろしすぎる」「面識のない奥さんを、それも子供の前で殺すなんて、人間のやることじゃない」「高校時代の恋愛感情を69歳まで持ち続けるものなのか?」
といった、動機への恐怖や嫌悪感、理解不能といった声が多数を占めています。

同時に、「なぜ26年もかかったのか」「同級生なら、もっと早く捜査線上に浮かばなかったのか?」「初動捜査はどうだったんだ」といった、これまでの捜査のあり方に対する疑問を呈する意見も見られました。

まとめ

1999年11月13日から時が止まっていた、名古屋市西区主婦殺害事件。
その時計の針は、2025年10月31日、安福久美子容г者(69)の逮捕によって、26年の時を経てついに動き出しました。

今回の逮捕は、一つの事件の解決というだけにとどまりません。
それは、最愛の妻を奪われた夫・高羽悟さんの、想像を絶する26年間の執念(現場保存、時効撤廃運動)の結晶であり、
「絶対にあきらめない」という担当刑事の熱意ある再捜査の成果であり、
そして、現場に残された微かな血痕から犯人を特定できるまでに進歩した「科学捜査の勝利」でもありました。

逮捕された安福容疑者は、高羽悟さんの高校時代の同級生であり、報道によれば、長年にわたり一方的な好意を抱き続けていた可能性があります。
もし、その歪んだ感情が、何の罪もない奈美子さんと、当時まだ2歳だった航平さんの人生を無惨に踏みにじったのだとすれば、それはあまりにも身勝手で、理不尽な動機です。

安福容疑者は「26年間、毎日不安だった」と供述していると報じられています。
しかし、高羽悟さんと航平さんが、奈美子さんを失ったまま過ごしてきた26年間の苦しみと不安、そして奈美子さんの無念は、計り知れません。

事件の真相、特に動機の全容解明は、これからの捜査と、今後開かれるであろう裁判を待たなければなりません。
高羽奈美子さんの無念が少しでも晴らされるよう、そして悟さんと航平さんが本当の意味で区切りをつけられるよう、徹底した真相究明が望まれます。

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