障害ASDで話題の芸人・たいぞうは誰で何者?妻から学歴・経歴まで詳細まとめ

芸人 たいぞう インスタグラム
芸人 たいぞう インスタグラム

近年、テレビやSNSで「障害ASD(自閉スペクトラム症)」であることを公表し、大きな注目を集めている芸人・たいぞうさん。その個性的なキャラクターと多才ぶりで多くの人々を魅了していますが、「一体どんな人なの?」「これまでの経歴は?」と、その人物像に関心が集まっています。

この記事では、そんな謎多き芸人・たいぞうさんが「誰で何者」なのか、その学歴経歴、さらには気になる「生い立ち」や「結婚」・子供の存在に至るまで、2025年5月現在の最新情報と過去の情報を網羅し、徹底的に深掘りしてご紹介します。

この記事を読めば、あなたもきっとたいぞうさんの魅力と、彼が歩んできた道のりについて深く理解できるはずです。

  • たいぞうさんの基本的なプロフィールと人物像が明らかになります。
  • ASD(自閉スペクトラム症)と診断された経緯や、それが活動に与えた影響が分かります。
  • NSC時代から現在に至るまでの輝かしい学歴と経歴を詳しく知ることができます。
  • たいぞうさんを形作った幼少期からの生い立ちについて理解が深まります。
  • 結婚相手である妻の詳細や、子供の有無など、気になる家族構成が判明します。

それでは、さっそく見ていきましょう。

1. 障害ASDで話題の芸人・たいぞうは誰で何者?

最近、自閉スペクトラム症(ASD)であることを公表し、各方面で話題となっている芸人・たいぞうさん。彼が一体「誰」で「どのような人物」なのか、その多面的な魅力の源泉に迫ります。このセクションでは、たいぞうさんの基本的なプロフィール情報から、ASD診断に至った「経緯」やその「理由」、そして診断が彼の人生や芸風にどのような変化をもたらし、「何があった」のかを詳しく解説していきます。

1-1. たいぞうさんの基本プロフィール:本名や年齢、気になる所属事務所はどこ?

多くの人々を惹きつける芸人であり、同時にアーティストとしても非凡な才能を発揮するたいぞうさん。まずは、彼の基本的な情報からご紹介いたしましょう。

項目情報
芸名たいぞう
本名横山 泰三(よこやま たいぞう)
生年月日1974年1月12日
年齢51歳(2025年5月現在)
出身地香川県観音寺市
身長・体重167cm・80kg
血液型A型
所属事務所吉本興業
NSC期大阪校11期生
肩書きお笑いタレント、画家、大阪府障がい者芸術文化大使

たいぞうさんの本名は横山泰三(よこやま たいぞう)さんとおっしゃいます。2025年5月現在で51歳を迎えられました。ご出身はうどんで有名な香川県の観音寺市で、地元愛も深く「観音寺市ふるさと応援大使」という大切な役割も担っていらっしゃいます。所属されているのは、数々のお笑い芸人が在籍する大手芸能事務所の吉本興業です。

1-2. 「我々は横山泰三と思います!」吉本新喜劇での伝説的エピソードとASDの兆候はいつから?

たいぞうさんがかつて吉本新喜劇の舞台で見せた、今やファンの間では伝説とも語り継がれる「天然」とも取れる振る舞いは、実は後になって明らかになる彼の特性と深く結びついていた可能性が考えられます。ある日の舞台、警官役として颯爽と登場したたいぞうさんは、極度の緊張からか「我々は新人警官の横山泰三と思います!」と、ご自身の名前をまるで一つのチーム名であるかのように紹介してしまったのです。

この予期せぬ発言には、共演していた辻本茂雄さんも「我々って、お前一人やないか。他に誰がおるねん!」「『横山泰三と思います』って、自分の名前に自信がないんかいな。ボケすぎやろ!」と、間髪入れずに鋭いツッコミを入れ、満員の会場は一瞬にして大きな笑いに包まれました。しかし、この出来事は単なる「面白いNGシーン」として片付けられるものではなかった、とたいぞうさんご自身が後に振り返っています。これこそが、彼が長年抱えてきた生きづらさや、後に診断されることになるASD(自閉スペクトラム症)の特性の一端が、図らずも現れた瞬間だったのかもしれません。

1-3. 2024年にASDと診断:公表に至った経緯と理由はなぜ?何があったのか?

長年にわたり、周囲の人々との間に感じる「ズレ」や、コミュニケーションにおける独特の難しさを内面に抱えていたたいぞうさん。その長年の疑問、「なぜ自分はこうなのだろう?」という問いに対する答えが見つかったのは、2024年のことでした。この大きな転機には、16年という長い歳月を共に歩んできた奥様からの「一度、専門機関で詳しく調べてみたらどうかな?」という優しい言葉が、彼の背中をそっと押したのです。

奥様の提案を受け、インターネット上で公開されていた発達障害に関するチェックリストを試してみたところ、驚くほど多くの項目が自閉スペクトラム症(ASD)の典型的な特性に合致したといいます。この結果を受け、よりはっきりとした診断を求めて心療内科の門を叩いた結果、医師から正式にASDであるとの診断が下されました。この診断に伴い、精神障害者保健福祉手帳3級も取得されています。

診断を受けた際、医師からはたいぞうさんのIQが72であり、軽い知的障害の傾向が見られること、そして物事を記憶したり覚えたりすることが苦手な特性から「正直なところ、芸人という職業にはあまり向いていないタイプかもしれません」とも伝えられたそうです。さらに「よくここまでお仕事を続けてこられましたね」という医師の言葉は、たいぞうさんがこれまでの人生で、どれほど見えない困難と向き合い、それを乗り越えようと努力してきたかを静かに物語っていました。

1-4. ASD(自閉スペクトラム症)の特性とたいぞうさんの苦悩・生きづらさとは?

自閉スペクトラム症(ASD)は、一般的に「対人関係や社会的コミュニケーションの困難」や「特定のものやことへの強いこだわり、感覚の過敏さまたは鈍麻さ」などの特性が見られる発達障害の一つとされています。たいぞうさんの場合、具体的にどのような苦悩や生きづらさを抱えてきたのでしょうか。

紹介されているエピソードからは、以下のような特性がうかがえます。

  • 言葉を文字通りに受け取る:先輩から「冷蔵庫の中、全部食べていいよ」と言われれば本当に全て平らげてしまったり、「カップラーメン買ってきて」と5000円を渡されれば5000円分のカップラーメンを購入したりと、言葉の裏や意図を汲み取ることが非常に苦手だったようです。このため、周囲との間に誤解が生じやすかったのかもしれません。「あの店(空き席がないか)見てきて」という指示に「人がうろうろしてました」とだけ報告するのも、言葉通りの情報をそのまま伝えた結果なのでしょう。
  • 場の空気を読むことの難しさ:ある方のお通夜の席で「いっぱい食べていいよ」と言われ、たくさん食事をいただいた後に「また呼んでください」と発言してしまったエピソードも、その場の状況や雰囲気を瞬時に理解することの難しさを示していると考えられます。
  • 急な変更への対応の困難:舞台でのアドリブについて、たいぞうさんは「ネタを邪魔されている」と感じ、混乱して頭が真っ白になってしまうことがあったと語っています。これは、事前に決まっていた段取りや予定が急に変わることへの対応が難しいというASDの特性の一つと考えられます。
  • 記憶の困難さ:マンションの暗証番号を覚えられず、入り口にメモ書きしてしまったというエピソードや、医師から「物事を覚えにくい頭」と指摘されたことも、記憶に関する特性を示唆しています。これが、舞台のセリフ覚えの苦労にも繋がっていたのかもしれません。

こうした特性から、たいぞうさんは「普通」が分からず、15年間で13回も引っ越しを繰り返すなど、日常生活においても多くの困難を経験されてきました。「なんで今そこで違うこと言うの?」と混乱してしまう感覚は、常に世間との「ズレ」を感じながら生きてきた彼の苦悩を象徴しているようです。

1-5. 診断後の変化と現在の心境は?「障がい」を「個性」として輝くために

医師からASDであると診断されたことは、たいぞうさんにとって大きな転換点となりました。長年自分を責め続けてきたパニックや人間関係のトラブルの原因が、自身の努力不足や性格の問題ではなく、「特性」によるものだったと理解できたことで、心が軽くなったといいます。「そういうことやったんか」と腑に落ち、自分を責める必要はなかったのだと受け止められるようになったのです。

この診断は、単に過去の謎が解けただけでなく、たいぞうさんの今後の生き方や活動の方向性を明確にするものでもありました。自身の「障がい」や「特性」を正しく理解し、それをどのように活かしていくか、という新たな視点が生まれたのです。

近年、たいぞうさんは「『障がい』を『大変』ではなく『個性』やと思います。みんなで力を合わせて『個性』を発揮し、一緒に輝いて、みんなに勇気と希望を届けたいです」と語り、その言葉通り、自身の経験や特性をオープンにすることで、多くの人々に勇気を与えています。ASD当事者としての視点を取り入れた絵画制作や、講演活動など、その活動の幅はますます広がっています。

2. たいぞうの学歴・経歴とは?

たいぞうさんの個性的なキャラクターと才能は、どのような学び舎と経験を経て育まれてきたのでしょうか。ここでは、彼の「学歴」と、お笑い芸人そして画家としての輝かしい「経歴」を詳しくご紹介します。NSC入学から注目されるようになった「いつ」頃の話なのか、そして画家としての才能が「何」をきっかけに開花したのか、その道のりを辿ります。

2-1. たいぞうさんの学歴まとめ:小学校から高校はどこ?

たいぞうさんの学歴について、関連情報から分かっている範囲でまとめました。

  • 小学校・中学校:香川県観音寺市内の公立校に通われていたとされています。たいぞうさん自身、小中学生時代にいじめを受けていた辛い経験を語っていますが、それでも学校を休むことなく皆勤を貫いたというエピソードは、彼の内なる強さを感じさせます。
  • 高校:香川県にある尽誠学園高等学校を卒業されています。同校は特に野球の強豪校として全国的にその名が知られており、体育会系の活気ある校風の中で、たいぞうさんは忍耐力や精神力を培われたのかもしれません。

幼少期から「勉強はでけへんし、コミュニケーションも苦手」だったと語るたいぞउさんですが、その後の芸人としての活躍や画家としての才能開花を考えると、学校生活での様々な経験が、見えない形で彼自身の糧となっていたのではないでしょうか。

2-2. 芸人としての経歴:NSC入学から注目されるまではいつ?

たいぞうさんの芸人としてのキャリアは、高校卒業後にNSC(吉本総合芸能学院)の門を叩いたことから始まります。

  • 1992年 NSC大阪校11期生として入学:ここが、たいぞうさんの芸人人生のまさにスタート地点となりました。入学当初は「ギャグガスバクハツ」というコンビを組んで活動していた時期もあったようです。
  • 同期の有名芸人は誰?:NSC大阪11期は、後に大活躍する多くの人気芸人を輩出しています。同期には、陣内智則さん、たむらけんじさん、ケンドーコバヤシさん、そして兄弟漫才コンビの中川家など、錚々たるメンバーが顔を揃えています。彼らとは今でも交流があり、特にASD公表後には、陣内さんやケンコバさんなどがSNSを通じてたいぞうさんを温かくサポートする様子も見られました。
  • ピン芸人への転向と吉本新喜劇への加入:コンビ解散を経て、たいぞうさんはピン芸人として活動を続ける道を選びます。その後、関西のお笑いの殿堂ともいえる「よしもと新喜劇」に加入。ここで、冒頭でご紹介したような数々の「天然」エピソードが生まれ、観客の笑いを誘いました。新喜劇の座長であった内場勝則さんからは「手強いのが来た」と、その予測不能なキャラクターに冷や汗をかかせたという逸話も残っています。
  • 島田紳助さん・今田耕司さんとの出会いとブレイクのきっかけは何?:新喜劇での活動と並行して、たいぞうさんの才能に注目する大物芸人が現れます。それは、島田紳助さんと今田耕司さんでした。たいぞうさんは、台本を完璧に覚えることが苦手だったため、途中で台本を読み上げてもネタとして成立するような、ある意味「ズルいネタ」を考案。これが逆に新鮮で面白いと評価され、注目を集めるようになったのです。

    このユニークなスタイルが島田紳助さんの目に留まり、人気番組に次々と起用されるようになりました。特に、2000年代に入ると、島田紳助さんが司会を務めるバラエティ番組『クイズ!紳助くん』(朝日放送)への出演が、たいぞうさんの知名度を全国区に押し上げる大きなきっかけとなりました。この番組を足がかりに、レギュラー番組を7本も抱える人気芸人へと成長し、全国ネットのバラエティ番組やクイズ番組にも多数出演するようになりました。


2-3. 画家としての経歴:才能が開花したきっかけと活動の現在は?

芸人 たいぞう 絵 インスタグラム
芸人 たいぞう 絵 インスタグラム

お笑い芸人として確固たる地位を築きつつあったたいぞうさんですが、彼にはもう一つの大きな才能が眠っていました。それが「絵画」です。

  • 『クイズ!紳助くん』での絵が転機に:画家としての才能が開花する直接的なきっかけも、やはり『クイズ!紳助くん』でした。番組内のロケ企画で、たいぞうさんが放浪の画家・山下清さん風のいでたちで旅をし、その道中で絵を描いてお世話になった人々にプレゼントするというものがありました。この時、島田紳助さんから「旅先で絵を描いて、世話になった人に渡してこい」とアドバイスされたことが、たいぞうさんの画才を世に出す大きな後押しとなったのです。
  • 描いた絵の評判と島田紳助さんのアドバイスとは?:ロケで描かれたたいぞうさんの絵は、その独特のタッチと色彩感覚で大きな評判を呼びました。これを受け、たいぞうさん自身も「絵で勝負したい」という思いを強く抱くようになります。

    当時、芸人で画家といえば、ジミー大西さんという既に大きな存在がいました。たいぞうさんがこのことについて島田紳助さんに相談したところ、「ジミーの絵は値段が高いから、お前はもっと手頃な価格で、たくさんの作品を描け」という的確なアドバイスを受けました。この言葉に勇気づけられたたいぞうさんは、精力的に作品制作に取り組み、2年間で実に224枚もの絵を描き上げました。


  • 個展の成功と作品の特徴:たいぞうさんの作品は、幾何学的な模様と象徴的なアイコンが画面いっぱいに混在し、見る者に強烈な印象を与えます。その大胆かつ緻密なスタイルは、時に前衛芸術家の草間彌生さんを彷彿とさせるとも評されます。鮮やかでカラフル、そしてどこか可愛らしい表現方法で、感情の起伏や感謝の想いなどを生き生きと映し出し、芸人ならではのユニークな感性が、初めて見る人をもたちまち魅了してやみません。

    大阪のランドマークである梅田スカイビルで開催された初の個展は、テレビ番組での注目度も追い風となり、会期中に全作品が完売するという大成功を収めました。この反響は大阪だけに留まらず、東京での個展開催や全国ネットのテレビ番組への出演へと繋がり、たいぞうさんの作品はますます高い評価を得て、高値で取引されるようにもなりました。2004年頃からは本格的に原画展を全国の百貨店などで開催し、年間20本以上の個展が組まれるほどの人気を博しています。2025年5月にも奈良県の近鉄百貨店をはじめ、全国各地で巡回展が開催されており、会場では「あなたを描きます」と題したライブペイント企画も実施されるなど、精力的な活動を続けています。


  • 現在の画家としての活動状況:大阪府障がい者芸術・文化大使としての役割:ASD当事者であることを公表してからは、作品のトーンにも変化が見られるようになりました。かつてはテレビや舞台で活躍するタレントたちの「輝き」をカラフルに描くことが多かったのに対し、近年は妻や主治医、マネージャー、倉庫の仲間といった、自身を陰で支えてくれる人々をモノクロームで描き、「静かな輝き」を表現することが増えたといいます。「支えてくれている人がこんなにいるんやな、と初めてちゃんと分かったんです」という言葉は、彼の心境の変化を物語っています。

    この変化は、障がいを持つアーティストとしての新たな道へと繋がっていきました。たいぞうさんは大阪府から「障がい者芸術・文化大使」に任命され、障がいのあるクリエイターたちが創造するアート作品に触れる中で、多くの人々に支えられながら「自分の気持ちをバーンとぶつけているパワー」に強く共鳴したと語っています。その思いを胸に、障がいのあるアーティストのマネジメントを行う芸術家プロダクション「アベイユ」や、生活介護とアート活動の両立を支援する合同会社「らい」と協力し、大阪のあべのハルカス近鉄本店のウィング館にて、コラボレーション展示会を開催するなど、アートを通じた社会貢献活動にも積極的に取り組んでいます。


2-4. 倉庫での仕事も継続、その理由は何?

テレビでの仕事が一段落した時期、たいぞうさんは生活の安定を図るため、倉庫での仕事を始めました。意外に思われるかもしれませんが、この倉庫での仕事は、暮らし向きに以前ほど困らなくなった現在も続けており、既に10年以上のキャリアになるそうです。

40代にして初めて、いわゆる「一般の人たち」と一緒に働くようになったたいぞうさん。ここでも、当初は多くの困難に直面しました。周囲からは「少し変わった人」という目で見られることもあり、挨拶をしても返してくれない人もいたといいます。コミュニケーションの行き違いからストレスを感じたり、苦手な作業でミスを繰り返してしまったり、あるいは職場のルールが急に変わると頭が真っ白になりパニックに陥ってしまうこともあったそうです。

しかし、ASDの診断を受けた後、この倉庫での働き方にも変化が訪れます。障害者雇用枠で再契約を結び、自身の障がいや特性について職場に丁寧に説明しました。その結果、苦手な持ち場から離れることができたり、急なルール変更がないように配慮してもらえたりと、当事者の特性に応じた合理的な配慮を受けられる環境が整ったのです。「すごく働きやすくなりました。障がいがあるからこそ、ちょっとしたことでも褒めてもらえる機会が増え、必要とされていると実感できるんです」と、たいぞうさんは語ります。倉庫で汗を流して働く日常や、妻との穏やかな時間など、ごく普通の暮らしの中にこそ、本当の喜びや輝きがあることに気づいたと話す彼の言葉には、深い実感がこもっています。

3. たいぞうの生い立ちは?

たいぞうさんのユニークな個性や才能のルーツは、どのような「生い立ち」にあるのでしょうか。ここでは、彼の幼少期から学生時代、そして「普通」とのズレに悩み続けた日々に焦点を当て、その人物形成に迫ります。絵の才能は「いつから」芽生え、芸人を目指す「何」がきっかけとなったのでしょうか。

3-1. 幼少期のたいぞうさんはどんな子供だった?絵の才能はいつから?

たいぞうさんの幼少期について、関連情報では「漫画とプロレスが好きな“インドア派”」であったと記されています。活発に外で遊ぶよりも、家の中で自分の好きな世界に没頭するタイプの子供だったのかもしれません。絵に関しては、特筆すべき才能を幼い頃から見せていたようです。「頭にイメージすればすぐ描ける」という能力を持ち、学校の教師からもその才能を評価されていたというエピソードがあります。この頃から、彼の芸術家としての片鱗は現れていたのですね。

「勉強はでけへんし、コミュニケーションも苦手で」と自身で語るように、集団生活の中では苦労もあったようですが、絵を描くという行為は、彼にとって自分を表現する大切な手段の一つだったのかもしれません。

3-2. 芸人を目指したきっかけは何?学生時代にいじめを経験?

たいぞうさんがお笑い芸人という厳しい世界を目指すことになった背景には、学生時代の辛い経験が深く関わっています。彼は、小学校・中学校時代を通じて、ひどい「いじめ」に遭っていたことを公にしています。当時の辛い記憶は、彼の心に大きな影響を与えたことでしょう。

そんな彼にとって、テレビの中で輝く芸人たちの姿は、一筋の光のように見えたのかもしれません。特に、間寛平さん、嘉門タツオ(旧名:嘉門達夫)さん、ジミー大西さん、ぼんちおさむさん、西川のりおさんといった、強烈な個性を放つ「キャラの濃い、破天荒な芸人」たちに強く惹かれたといいます。「勉強ができなくても、自分もあんな風に輝ける場所があるんじゃないか」そんな希望が、彼を芸人の道へと突き動かしたのです。

「芸人になるなら、これくらいのことでへこたれてはいけない」と、いじめの辛さにも耐え、小中学校を無遅刻無欠席で通い続けたというエピソードは、彼の内に秘めた強い意志と、お笑いへの熱い思いを感じさせます。

3-3. 「普通」とのズレに悩み続けた日々とは?引越し13回の過去も

幼少期から感じていた周囲との「ズレ」。それは、たいぞうさんが芸人として活動を始めてからも、常に彼につきまといました。紹介されている数々のエピソードは、彼が「普通」という枠組みの中でどれほど生きづらさを感じていたかを物語っています。

例えば、家賃を払う経済的な余裕がなく、先輩芸人の部屋を転々としていた駆け出しの頃。居候生活が長くなると、決まって「お前とはこれ以上一緒に住まれへんわ。申し訳ないけど、出ていってくれ」と言われてしまったといいます。その原因の一つが、言葉を文字通りにしか受け取れない彼の特性でした。

ある先輩と暮らしていた暗証番号式のマンションでのこと。番号をどうしても覚えられず、先輩に「何番でしたっけ?」と尋ねると、「忘れるんやったら、どこかにメモでもしとけ!」と注意されました。するとたいぞうさんは、なんとその暗証番号「1104」を、マンションの入り口にペンで直接書き込んでしまったのです。これでは、セキュリティも何もあったものではありません。

また、別の知人宅に居候していた際には、その家のお母さんから「冷蔵庫の中にあるものは、遠慮せんと全部食べていいからね」という親切な言葉をかけられました。するとたいぞうさんは、その言葉を額面通りに受け取り、本当に冷蔵庫の中身を空っぽになるまで食べ尽くしてしまったのです。

こうした、言葉のニュアンスや暗黙のルールを理解することの難しさが、人間関係の誤解やトラブルを生み、結果として15年という期間の間に13回もの引っ越しを余儀なくされるという、不安定な生活に繋がったと考えられます。「世間とのズレ」は、彼にとって常に大きな悩みであり続けたのです。

4. たいぞうは結婚してる?妻と子供について

公私ともに注目されるたいぞうさんですが、そのプライベート、特に「結婚」事情や「妻」、そして「子供」の存在については、多くの方が気になるところではないでしょうか。ここでは、たいぞうさんの結婚歴や現在の奥様について、そしてお子様がいらっしゃるのかどうか、詳しく見ていきましょう。「相手は誰?」という疑問にもお答えします。

4-1. たいぞうさんの結婚歴まとめ:現在の妻はどんな人?いつ結婚した?

たいぞうさんには、これまでに二度の結婚歴があることが公表されています。

  • 一度目の結婚と離婚:最初の結婚は2006年3月3日のことでした。お相手は一般の公務員の女性で、当時レギュラー出演していた人気番組『クイズ!紳助くん』の番組内で電撃的に発表され、話題となりました。しかし、残念ながらこの結婚生活は長くは続かず、比較的短期間で離婚という形に至ったようです。
  • 現在の妻との再婚はいつ?職業は?:その後、たいぞうさんは現在の奥様と出会い、2009年1月31日に再婚されました。現在の奥様の職業は、歯科衛生士をされているそうです。たいぞうさんがASDの診断を受けるきっかけとなったのも、この奥様の「一度、調べてみようよ」という言葉でした。診断の際には病院へも付き添うなど、奥様はたいぞうさんにとって最も身近な理解者であり、最大の支えとなっていることがうかがえます。結婚生活も2025年で16年目を迎え、たいぞうさんが語る「妻との穏やかなひととき」という言葉からも、夫婦の絆の深さが伝わってきます。

4-2. たいぞうさんに子供はいるの?家族構成はどうなってる?

たいぞうさんと現在の奥様の間に、お子様がいらっしゃるのかどうかについては、多くの方が関心を持つ点かと思われます。しかし、2025年5月現在、たいぞうさんの公式プロフィールやメディアでの発言、インタビュー記事などを調査した限りでは、お子様の存在について言及された情報は見当たりませんでした。

関連情報の末尾にある「リサーチの限界と課題」という項目でも、「家族(子ども)に関しては現状公開情報が皆無。本人が意図的に伏せている可能性が高く、続報待ち」と記載されています。芸能人の方々の中には、プライバシー保護の観点から、ご家族、特にお子様に関する情報を公にしないケースも少なくありません。たいぞうさんの場合も、同様の理由で情報を非公開にされている可能性が考えられます。

そのため、現時点ではお子様の有無について断定的なことは申し上げられません。たいぞうさんご本人や所属事務所から何らかの公式な発表がない限りは、憶測で語ることは控えるべきでしょう。もし将来的に情報が公開されることがあれば、改めてお伝えしたいと思います。

まとめ

この記事では、自閉スペクトラム症(ASD)であることを公表し、芸人そして画家として多方面で活躍するたいぞうさんについて、「誰で何者」なのか、その学歴や経歴、生い立ち、そして結婚相手である妻や子供の存在に至るまで、詳しくご紹介してきました。

たいぞうさんは、本名を横山泰三さんといい、香川県観音寺市出身の51歳(2025年5月現在)。吉本興業に所属し、NSC大阪校11期生として芸人のキャリアをスタートさせました。同期には陣内智則さんやたむらけんじさん、中川家などがいます。若い頃から吉本新喜劇や『クイズ!紳助くん』などの人気番組でそのユニークなキャラクターが注目され、人気を博しました。

また、番組の企画をきっかけに絵の才能も開花させ、画家としても高い評価を得ています。その作品は大胆かつ緻密で、多くの人々を魅了し、全国各地で個展が開催されるほどです。

2024年には自閉スペクトラム症(ASD)と診断されたことを公表。長年抱えてきた生きづらさの原因が分かり、現在はその特性を「個性」として捉え、大阪府障がい者芸術・文化大使を務めるなど、新たな活動の幅を広げています。

学歴は尽誠学園高等学校を卒業。生い立ちにおいては、幼少期からのコミュニケーションの苦手さや、学生時代のいじめ経験を乗り越え、テレビで見た芸人への憧れを胸に芸の道へ進みました。

私生活では二度の結婚歴があり、現在の奥様は歯科衛生士をされています。奥様はASD診断の際にも大きな支えとなった存在です。お子様の有無については、現在のところ公表されていません。

たいぞうさんのこれまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでしたが、自身の特性と向き合い、それを強みに変えて輝き続ける姿は、多くの人々に勇気と希望を与えています。今後のたいぞうさんのさらなる活躍から目が離せません。

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