
2023年にフジテレビを退社し、現在はフリーアナウンサー、タレントとして活動する渡邊渚(わたなべ なぎさ)さん。彼女が告白した著名な司会者からの性被害疑惑は、社会に大きな衝撃を与えました。特に、疑惑の相手として中居正広さんの名前が取り沙汰される中、「なぜ警察に行かなかったのか?」という疑問の声が数多く上がっています。
さらに、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を公表しながらグラビア活動を再開したことに対して、「被害者なのにグラビアはおかしい」「売名行為ではないか」「そもそも嘘つきなのでは?」といった厳しい批判も少なくありません。
この記事では、これらの疑問や批判に多角的な視点から切り込み、その真相を徹底的に調査・解説します。
- 渡邊渚さんが警察に被害届を出さなかった、あるいは出せなかった複数の理由
- グラビア活動が「おかしい」と批判される背景と、その活動が持つ専門的な意味
- 「売名行為」「嘘つき」という批判の根拠と、それに対する客観的な事実
- 性被害を経験した人が、あえてグラビアのような自己表現を選ぶ心理的な背景
表面的な情報だけでは見えてこない、渡邊渚さんの行動の裏にある複雑な事情と、性暴力被害者が直面する社会の現実を深く理解するための一助となれば幸いです。
1. 渡邊渚が中居正広の性加害疑惑で警察に行かなかった理由はなぜ?
多くの人が最も疑問に思う点、それは「なぜ警察に届け出なかったのか」という問題です。重大な性被害を訴えながら、なぜ司法の判断を仰がなかったのでしょうか。その背景には、単に「行かなかった」という選択だけでなく、「行けなかった」という複数の深刻な理由が複雑に絡み合っています。ここでは、当事者間で交わされたとされる示談の存在、PTSDという病状、そして日本の司法制度が抱える構造的な問題という3つの側面から、その理由を解き明かしていきます。
1-1. 理由①:刑事罰を求めない「宥恕条項付き示談書」の存在が意味するもの
第一の理由として、示談書の存在が報じられています。週刊文春などの報道によると、トラブルが発生した2023年6月以降、渡邊渚さんと相手側との間で示談が成立したとされています。この示談書には「宥恕(ゆうじょ)条項」が含まれていた可能性が極めて高いと考えられます。
宥恕条項とは、「加害者を許し、刑事罰を求めない」という意思表示を示す条項のことです。これに被害者が署名・捺印した場合、警察や検察は「被害者に処罰感情がない」と判断し、捜査を開始したり、起訴したりすることが極めて困難になります。つまり、渡邊さん自身が刑事事件化を望まないという意思を示した形になるのです。
では、なぜ彼女はそのような示談に応じたのでしょうか。それは、被害者が置かれた状況を考えれば、合理的な判断であった可能性が浮かび上がります。示談交渉は、刑事裁判を経ずに、金銭的な賠償や謝罪を相手方に求めることができる手続きです。精神的にも肉体的にも疲弊しきった被害者にとって、長期間にわたる刑事手続きの負担を避け、早期に一定の解決を図るための現実的な選択肢となり得るのです。示談が成立しているという事実は、逆に言えば、何らかの被害が存在し、加害者側もそれを認めて解決を図った、と解釈することもできます。
1-2. 理由②:PTSDの悪化懸念と本人が語った精神的負担の深刻さ
第二の理由は、渡邊渚さん自身が公表しているPTSDの症状です。彼女は複数のインタビューや手記で、警察に行くことの精神的な負担がいかに大きいかを語っています。
2025年6月6日に公開された『週刊ポスト』の独占手記で、渡邊さんは「警察に行けばいい」という世間の声に対し、「簡単に言うな」と強い言葉で反論しました。警察に行けば、思い出したくもない被害の記憶を、何度も、複数の捜査官に対して繰り返し詳細に話さなければなりません。これは「再トラウマ化」と呼ばれ、被害者の心をさらに深く傷つける行為になりかねません。
さらに、最も過酷とされるのが「現場検証」です。被害に遭った場所へ再び赴き、そこで何が起きたのかを具体的に再現し、説明することが求められます。渡邊さんは手記の中で「そんなこと、被害に遭ってすぐできるか。私には無理だ。希死念慮がより強まる予感しかしない」と、その恐怖を生々しく綴っています。PTSDによって日常生活すらままならない状況で、これ以上の精神的負荷を避けることは、自身の命を守るための切実な判断だったといえるでしょう。
1-3. 理由③:日本の司法の壁!なぜ性被害者の約8割は警察に相談しないのか
第三の理由は、渡邊さん個人の問題だけでなく、日本の司法制度が抱える二次加害の構造的な問題です。実は、性被害に遭っても警察に届け出る被害者は、ごく少数派であるという衝撃的なデータがあります。
内閣府が2020年に実施した「男女間における暴力に関する調査」によると、無理やりに性交等をされた経験のある女性のうち、警察に相談した人はわずか6.4%でした。つまり、10人中9人以上の被害者は、警察に助けを求めることを断念しているのです。この背景には、以下のような深刻なハードルが存在します。
- 立証の困難さ:日本の刑法では、強制性交等罪が成立するために「暴行または脅迫」があったことの証明が求められるケースが多く、これが非常に高い壁となります。恐怖で抵抗できなかった、あるいは上下関係で断れなかったといった状況は、「同意があった」と誤解されやすく、被害届が受理されないことも少なくありません。
- 捜査機関への不信感:心ない言葉をかけられたり、被害を軽視されたりするのではないかという捜査機関への不信感も根強くあります。「なぜ抵抗しなかったのか」「あなたにも隙があったのではないか」といった、被害者を責めるような質問を受けることへの恐怖が、被害者を警察から遠ざけています。
- 加害者からの報復:警察に相談したことで、加害者やその関係者から逆恨みされ、報復されることへの恐怖も大きな要因です。
渡邊渚さんは手記の中で、ネットで「性被害 弁護士」と検索したところ、上位に出てきたのが加害者側の弁護をする事務所ばかりで愕然とした、と語っています。司法ですら被害者の味方ではないように感じてしまうこの現実は、被害届の提出をためらわせるには十分すぎる理由といえます。
1-4. 事情聴取と現場検証がいかに過酷かという実態
前述の通り、警察への相談をためらわせる大きな要因が、事情聴取と現場検証の過酷さです。これは、単に「話すのが嫌だ」というレベルではありません。被害の瞬間を五感で追体験させられる拷問にも等しい行為であり、魂を削られるような苦痛を伴います。
被害者は、以下のようなプロセスを経る必要があります。
プロセス | 被害者が直面する苦痛 |
---|---|
初期聴取 | 被害直後の混乱した状態で、何が起きたかを説明しなければならない。何度も同じ質問を繰り返されることも多い。 |
詳細な事情聴取 | 服装、時間、場所、相手の言動、自分の感情など、思い出したくもない細部まで、時系列に沿って正確に供述することを求められる。 |
現場検証 | 最も精神的負荷が高い。被害現場に連れて行かれ、「ここでこうされた」と、人形などを使って具体的な行為を再現・説明させられる。 |
証拠品の提出 | 被害時に着ていた下着や衣類などを証拠として提出する必要がある。これもまた、屈辱感を伴う行為である。 |
これらのプロセスは、被害の事実を客観的に証明するために必要不可欠な手続きではあります。しかし、その過程で被害者の心が壊れてしまっては本末転倒です。渡邊さんが「希死念慮がより強まる」と表現したように、事件化を選ぶことは、さらなる地獄へ足を踏み入れる覚悟を要することなのです。
1-5. 「簡単に警察へ行け」という声が二次加害になってしまう理由
以上の背景を理解すると、「なぜ警察に行かないんだ」「被害者なら戦うべきだ」といった単純な正義論が、いかに被害者を追い詰める二次加害になり得るかが見えてきます。善意からの発言であっても、被害者が直面している複雑で過酷な現実を無視した意見は、被害者に「警察に行けない自分はダメな人間だ」「戦えない自分には価値がない」と思わせてしまう危険性をはらんでいます。
渡邊渚さんは、示談、PTSD、そして司法の壁という三重苦の中で、刑事事件化しないという選択をしました。それは決して「逃げ」や「諦め」ではなく、心身ともに崩壊寸前の状態から、自分自身の命と尊厳を守るための、ぎりぎりのサバイバル戦略だったと理解するべきでしょう。彼女の選択を安易に批判することは、社会全体で取り組むべき性暴力問題の本質から目をそらすことにつながりかねません。
2. 渡邊渚がグラビアやるのはおかしい?批判の背景と真相
渡邊渚さんはPTSDを公表後、グラビア活動を再開しました。この行動に対し、「被害を訴えているのにグラビアをやるのはおかしい」「矛盾している」といった批判の声が上がっています。こうした意見は、「性被害者」という存在に対して、社会が無意識に抱く特定のイメージ、すなわち「被害者かくあるべし」という偏見に基づいている可能性があります。このセクションでは、なぜ彼女がグラビア活動を選ぶのか、本人の説明と専門家の見地からその深い意味を検証します。
2-1. 渡邊渚さん本人の説明:「見られること」自体はトラウマの誘因ではない
まず、渡邊渚さん自身の説明に耳を傾けることが重要です。彼女は自身のInstagramなどで、この問題について明確に言及しています。渡邊さんはフジテレビ入社前からモデル活動やグラビアの経験があり、人前に立ったり、写真を撮られたりする「見られる仕事」そのものに、元々抵抗がありませんでした。
彼女にとってトラウマの引き金(トリガー)となるのは、予期せぬ状況で、同意なく、支配的な形で身体に触れられるといった、まさに性暴力そのものの状況です。一方で、グラビアの撮影現場は、事前の打ち合わせがあり、信頼できるスタッフに囲まれ、いつ、どこで、どのように撮るかが全てコントロールされた安全な環境です。彼女自身の意志と選択のもとで行われる表現活動であり、トラウマ体験とは全く性質が異なります。
Yahoo!知恵袋などでも、「PTSDでも症状には波があり、調子の良い時にコントロール可能な環境で仕事をするのは不自然ではない」といった、当事者や理解者からの擁護の声が多数見られます。PTSDだからといって、全ての活動が不可能になるわけではないのです。
2-2. 専門家が解説する「身体の再獲得(re-embodiment)」という治療アプローチ
渡邊さんのグラビア活動は、単なる仕事復帰以上の、専門的な意味を持つ可能性があります。それが「身体の再獲得(re-embodiment)」という、トラウマからの回復アプローチです。
性暴力の被害者は、自分の身体が自分のものではないように感じたり、身体が汚されたと感じたりする「解離」や「身体感覚の喪失」といった症状に苦しむことがあります。加害者によって支配され、無力化された身体の感覚を取り戻すことは、回復の非常に重要なプロセスです。
「身体の再獲得」とは、まさにこのプロセスを指します。安全な環境下で、被害者自身が主体となって、自分の身体を動かしたり、感じたり、表現したりすることを通じて、身体とのつながりを再構築していくのです。ヨガやダンス、そして渡邊さんが選んだグラビアのような写真表現も、このアプローチの一つとして有効であると専門家は指摘します。
海外の医学論文データベース(PMC, NCBI)でも、性暴力サバイバーが自身の身体を主体的に使った表現活動(アートセラピーやフォトセラピーなど)を行うことで、トラウマを再構成し、自己肯定感を回復したという研究報告が数多く存在します。自分の身体を「支配された客体」ではなく、「自分がコントロールできる主体」として再認識する経験が、魂の回復につながるのです。
2-3. 海外の事例:表現活動を通じたトラウマからの回復と「権限回復」
海外では、渡邊さんのようなサバイバーの表現活動は、回復過程における「権限回復(Reclaiming Agency)」として積極的に評価されています。Agencyとは、自分の人生を自分で決定し、行動する力や主体性のことを指します。性暴力は、この主体性を奪う行為です。
アメリカのコロンビア大学が運営するウェブサイト「Sexual Respect」では、被害者が性的魅力を感じる活動や自己表現を、自身の選択で再開することを、まさに「権限回復」のプロセスであると定義しています。加害者に奪われた「性的自己決定権」を、自分の手に取り戻す象徴的な行為なのです。
グラビアという、女性の性的な魅力を表現するメディアを選ぶことは、一見するとトラウマと矛盾するように思えるかもしれません。しかし、その表現が彼女自身の「選択」と「決定」に基づいている限り、それは加害者によって歪められたセクシュアリティを、自分自身のものとして肯定し、取り戻すための力強い一歩となり得るのです。
2-4. 「被害者かくあるべし」という無意識の偏見が二次加害を生む
「PTSDなのにグラビアはおかしい」という批判の根底には、「被害者はこうあるべきだ」という社会のステレオタイプ、すなわち無意識の偏見が潜んでいます。それは、以下のようなイメージです。
- 被害者は常に悲しみ、落ち込んでいるべきだ。
- 被害者は人前に出ず、ひっそりと暮らすべきだ。
- 被害者は肌を露出し、性的な魅力をアピールするべきではない。
- 被害者が笑ったり、楽しんだりするのは不謹慎だ。
渡邊渚さんは手記の中で、「被害者が笑って過ごしていると、『こんなふうに笑えるはずがない、虚偽告訴だ』と言われる」ことへの理不尽さを訴えています。なぜ被害者は、幸せになる権利まで奪われなければならないのでしょうか。被害によってキャリアや未来を断たれたサバイバーが、自分らしい方法で人生を取り戻そうとすることは、当然の権利です。
彼女のグラビア活動を「おかしい」と批判することは、こうした「被害者らしさ」の押し付けに他ならず、被害者をさらに苦しめる二次加害そのものです。私たちは、被害者がどのような方法で回復の道を歩むかについて、固定観念で判断するのではなく、その人自身の選択と主体性を尊重する視点を持つ必要があります。
3. 渡邊渚は売名行為?告発の商業利用という批判を徹底検証
渡邊渚さんの告発とそれに続く活動に対し、「注目を集めるための売名行為ではないか」「被害を商業利用している」といった、意地の悪い批判が向けられることがあります。被害の告白という非常にデリケートな行為が、なぜこのような疑いの目で見られてしまうのでしょうか。このセクションでは、売名行為との批判がどのような論点に基づいているかを確認し、客観的な事実に基づいてその妥当性を一つひとつ検証していきます。
3-1. 批判の論点整理:「メディア露出・商業利用・でっち上げ」の3点
「売名行為」という批判は、主に以下の3つの論点から成り立っています。
- メディア露出が多すぎる:退社後、告発本を出版し、雑誌の手記やネットニュースなど、メディアへの露出が急に増えたのは、名前を売るためではないか。
- 被害を商業利用している:PTSDや性被害の経験を綴ったフォトエッセイ『透明を満たす』を出版したのは、同情を集めて本を売るためではないか。
- そもそも事件をでっち上げた:注目を集めるために、影響力のある人物との事件をでっち上げた虚偽の告発ではないか。
これらの批判は、一見するともっともらしく聞こえるかもしれません。しかし、事実関係を丁寧に確認していくと、全く異なる側面が見えてきます。
3-2. 事実確認①:メディア露出は本人の積極的な営業の結果なのか?
まず、「メディア露出が多い」という点についてです。渡邊渚さんは現在フリーランスで活動しており、マネジメントも自身で行っていると報じられています。しかし、彼女のメディア露出は、必ずしも彼女自身が積極的に営業した結果とは言えません。
元人気アナウンサーが、著名人との間に起きたとされるトラブルを告白し、PTSDを抱えながら再起を図るというストーリーは、メディア側から見れば非常に注目度の高いテーマです。実際に、著書の出版や雑誌の手記などは、出版社や編集部側から渡邊さんに依頼があって実現したものです。つまり、彼女の告白には高いニュースバリューがあり、メディア側からの需要が殺到している状況と見るのが自然でしょう。
彼女自身が売名のために各社にアプローチしているという証拠はなく、むしろメディアからの取材依頼に真摯に応じている結果が、現在の露出につながっていると考えられます。
3-3. 事実確認②:著書の収益と公表された寄付の意志
次に、「被害を商業利用している」という批判です。渡邊さんは2024年2月にフォトエッセイ『透明を満たす』を出版しました。この本がベストセラーになったことで、「被害を金儲けに使っている」という非難が生まれました。
しかし、渡邊さん本人は、この本を執筆した目的について「自身の治療記録であると同時に、同じように苦しむ人々への支援啓発のため」だと説明しています。実際に、彼女は著書のロイヤリティ(印税)の一部を、性暴力被害者を支援する団体へ寄付する予定であることを公にしています。
もし本当に商業利用だけが目的であれば、わざわざ収益を手放すような行動は取らないでしょう。自身のつらい経験を公にすることが、同じような被害に苦しむ誰かの助けになるかもしれないという強い意志が、出版の動機であったと考える方が自然です。告発を収益化しているのではなく、活動を通じて得たものを社会に還元しようとする姿勢は、単なる売名行為とは一線を画すものです。
3-4. 事実確認③:示談書や診断書など客観的な証拠の存在
最後に、最も悪質な「事件をでっち上げた」という批判についてです。これは、渡邊さんの人格そのものを否定する深刻な中傷ですが、この主張を裏付ける客観的な証拠は一切存在しません。
一方で、渡邊さん側の主張を補強する物的な証拠は複数報じられています。
- 宥恕条項付き示談書:前述の通り、当事者間で示談が成立しているという事実は、何らかのトラブルがあったことを示唆しています。もし何もなければ、加害者とされる側が示談に応じる理由がありません。
- PTSDの診断書:渡邊さんは医師から正式にPTSDの診断を受けており、これが休業・退社につながりました。診断書は彼女の精神的苦痛が客観的な事実であることを証明しています。
- 休業・退社の経緯:順風満帆に見えたアナウンサーとしてのキャリアを突然中断せざるを得なかったという事実も、彼女が深刻な事態に直面していたことの状況証拠といえます。
これらの客観的な事実を無視して「売名のためのでっち上げだ」と断じることは、極めて無責任な憶測に過ぎません。むしろ、証拠に基づいて判断する限り、彼女の告発には信憑性があると考えるのが合理的です。売名のために、自身のキャリアと心身の健康を犠牲にする人間がいるとは考えにくいでしょう。
4. 渡邊渚は嘘つき?主張の信憑性をファクトチェック
「売名行為」という批判は、しばしば「嘘つき」という、さらに深刻な人格攻撃へと発展します。彼女の告発内容そのものの信憑性を疑い、虚偽ではないかと決めつける声です。こうした根拠のない中傷は、被害者を社会的に孤立させ、さらに深く傷つけるものです。このセクションでは、現時点で判明している情報をもとに、「嘘つき」という批判が妥当なのかを客観的にファクトチェックします。
4-1. 渡邊渚さんの主張と加害者の典型的な反応の対比
渡邊渚さんは、著書や手記、インタビューを通じて、自身の経験を一貫して詳細に語っています。その内容は、PTSDの症状や司法への絶望感など、性暴力被害者が直面する典型的な困難と符合する点が多く、リアリティがあります。
一方で、彼女は手記の中で、加害者側の典型的な反応についても鋭く指摘しています。ハーバード大学名誉教授ジュディス・L・ハーマンの著書を引用し、加害者が取る行動パターンを次のように説明しています。
- 事実の否認:「そんなことはなかった」と、まず事実そのものを否定する。
- 矮小化:証拠を示されると、「大したことじゃない」と問題を小さく見せようとする。
- 責任転嫁:自分の非を認めず、逆に「声を上げた被害者が悪い」と非難する。
さらに、「被害者が加害者に好意を持っていた」「ハニートラップだ」といった虚偽の噂を流布し、被害者の社会的信用を失墜させようとする二次加害も頻繁に起こります。渡邊さんに対する「嘘つき」という批判は、まさにこの加害者側のロジックや二次加害の典型的なパターンと重なります。どちらの主張がより客観的な事実に近いかは、冷静に判断する必要があります。
4-2. 第三者機関による「虚偽」の認定は存在するのか?
ある人物の主張が「嘘」であると断定するためには、客観的な根拠が必要です。例えば、裁判所の判決や、警察の捜査結果、あるいは信頼できる第三者調査委員会による報告などがそれに当たります。
しかし、2025年6月現在、渡邊渚さんの告発内容が「虚偽である」と認定した公的機関や信頼できる第三者機関は一切存在しません。警察が捜査の末に「事件性なし」と判断したわけでも、裁判で彼女が敗訴したわけでもありません。
「嘘つき」という批判は、そのほとんどがSNS上での個人の憶測や、状況証拠を悪意的に解釈したものに過ぎません。「PTSDなのにグラビアをやっているから嘘」「警察に行かないから嘘」といった短絡的な結びつけが、何の証拠もないまま拡散されているのが実情です。これはファクトに基づいた批判ではなく、単なる誹謗中傷に他なりません。
4-3. 深刻化する誹謗中傷とついに発表された法的措置の警告
こうした「嘘つき」といった悪質な誹謗中傷は、日に日にエスカレートし、渡邊さん本人を深刻な状況に追い込んでいます。そしてついに2025年5月29日、彼女の公式インスタグラムを通じて、「スタッフ一同」の名義で警告文が発表される事態に至りました。
この警告文では、「一部の方による、度を超えた誹謗中傷や脅迫行為が継続しており、非常に憂慮すべき状況となっております」と、被害の深刻さが報告されました。そして、「このような悪質な行為に対しましては、すでに警察への相談を行っており、必要に応じて法的措置も講じております」と、毅然とした態度で対応する方針が示されました。
もし彼女の告発が本当に「嘘」なのであれば、このように公然と法的措置を宣言することは、逆に自身が虚偽告訴罪などで訴えられるリスクを高めるだけです。あえてこの警告に踏み切ったという事実は、彼女の主張が真実であることの、何よりの証左と言えるかもしれません。
4-4. 友人や家族にまで及ぶ被害の実態という看過できない事態
警告文で特に看過できないのは、誹謗中傷の矛先が渡邊さん本人だけでなく、彼女の周囲の人々にまで及んでいるという事実です。
「まったく関係のない友人や家族にまで影響が及び、根拠のない噂話によって名誉を毀損されるといった、看過できない事態が発生しております」
これは、もはや単なる意見や批判の域を完全に超えた、悪質な人権侵害です。東スポWEBの報道によれば、この警告文は渡邊さん本人ではなく、彼女のSNS担当スタッフが、友人や家族への実害が看過できないレベルに達したために作成・発表したものだとされています。
自身の告発によって、大切な友人や家族までが心ない言葉の暴力に晒されている。この事実は、彼女にとってどれほどの苦痛でしょうか。「嘘つき」というレッテル貼りが、いかに多くの人々を傷つけ、追い詰めているか。私たちはこの現実を直視し、無責任な憶測や中傷に加担することの罪深さを認識する必要があります。
5. なぜ性被害者がグラビアに?その心理とエンパワメントの意味
この記事では、渡邊渚さんのグラビア活動を「身体の再獲得」や「権限回復」という専門的な視点から解説してきました。ここでは最終章として、テーマをさらに普遍的なレベルに広げ、なぜ性暴力のサバイバーが、グラビアや写真、モデル活動といった身体的な自己表現を選ぶことがあるのか、その心理的な背景と、それが持つ「エンパワメント」としての深い意味について、より詳しく掘り下げていきます。
5-1. 「魂の殺人」からの回復プロセスで求められるもの
性暴力は「魂の殺人」とも呼ばれます。それは、単に身体を傷つけられるだけでなく、一人の人間の尊厳、自己肯定感、世界への信頼感といった、人間性の根幹を破壊する行為だからです。被害者は、まるで魂を殺されたかのような無力感と絶望の中に突き落とされます。
この「魂の殺人」から回復していくプロセスは、単に時間が経つのを待つだけでは進みません。そこでは、破壊された自己を能動的に再構築していく作業が必要になります。その中心的なテーマの一つが、「失われた身体の主導権を取り戻す」ことです。加害者に支配され、モノのように扱われた自分の身体を、再び「自分自身のもの」として感じ、コントロールできるようになることが、回復への大きな一歩となります。
5-2. 自分の身体の主導権を取り戻す「リクレイミング・エージェンシー」
前述した「権限回復(Reclaiming Agency)」は、まさにこのプロセスを指す言葉です。自分の意志で、自分の身体を、自分の望むように表現する。この経験が、奪われた主導権を取り戻すための強力なリハビリテーションとなるのです。
グラビアという表現形態を考えてみましょう。
- 誰が決定するか?:どの水着を着るか、どんなポーズをとるか、どの写真を公開するか。その最終的な決定権は、被写体である本人にあります。
- どのような環境か?:撮影は、プロのスタッフによって安全が確保された、コントロールされた環境で行われます。
- 目的は何か?:目的は、加害者の性的欲望を満たすためではなく、自身の美しさや魅力を主体的に表現することにあります。
このように、グラビア活動は、性暴力の状況とは全ての要素が正反対です。加害者に「させられた」受動的な経験に対し、グラビアは自らが「する」能動的な経験です。この能動的な自己表現を通じて、サバイバーは「私の身体は、私のものだ」という感覚を、文字通り身体で学び直していくことができるのです。
5-3. 表現活動によるトラウマの再物語化というアプローチ
心理療法の分野には、「トラウマ・インフォームド表現アートセラピー」や「フォトボイス」といった手法があります。これらは、言葉にするのが難しいトラウマ体験を、写真やアートといった非言語的な表現を通じて可視化し、自分自身の物語として再構築(再物語化)していくアプローチです。
トラウマの記憶は、断片的で秩序がなく、フラッシュバックとして何度も心を襲います。表現活動は、この混沌とした記憶に形を与え、客観的に眺め、意味づけをし直す手助けとなります。写真に写る自分の姿を見ることで、被害者としての自分だけでなく、困難を乗り越えようとする強い自分、美しい自分といった、多面的な自己イメージを再発見することができます。
渡邊渚さんのフォトエッセイ『透明を満たす』は、まさにこの「再物語化」の実践例と言えるでしょう。彼女は写真と文章という表現手段を用いて、自身のつらい経験に意味を与え、それを社会と共有することで、単なる被害者から「経験を語り、社会に問題を提起する当事者」へと、自らの役割を再定義しているのです。
5-4. 日本社会が抱える根深い課題と二次加害の構造
しかし、残念ながら現在の日本社会では、こうしたサバイバーのエンパワメントとしての表現活動が、正しく理解されているとは言えません。社会学者が指摘するように、日本には「被害者は清純であるべき(マドンナ)」という固定観念が根強く残っています。
このため、サバイバーがグラビアのように性的な魅力を表現すると、「被害者らしくない」「本当に被害に遭ったのか怪しい」といった、いわゆる「マドンナ/娼婦二元論」に基づいたバックラッシュ(反発)が起こりがちです。これは深刻な二次加害であり、サバイバーの回復を妨げ、社会復帰を困難にしています。
警察庁のヒアリング報告でも、こうした社会の偏見に満ちた視線が、被害者が被害届を出すことを断念させる一因になっていると指摘されています。「訴えても、結局自分の品行を疑われるだけだ」と、被害者が声を上げることを諦めてしまうのです。
渡邊渚さんの挑戦は、この根深い社会の課題に、真っ向から一石を投じるものです。彼女の行動を「おかしい」と切り捨てるのではなく、その背景にある心理的な意味と、彼女が闘っている社会の偏見について、私たち一人ひとりが深く考えることが、より安全で、被害者が声を上げやすい未来を築くために不可欠です。あらゆる性暴力が許されないという当たり前の社会を実現するために、私たちは彼女のような勇気ある声に耳を傾け、学び続ける必要があります。
まとめ
元フジテレビアナウンサー渡邊渚さんが直面している状況について、多角的な視点から深掘りしてきました。最後に、この記事で明らかになった重要なポイントをまとめます。
- 警察に行かなかった理由:渡邊渚さんが警察に届け出なかった背景には、①刑事罰を求めない「宥恕条項付き示談書」の存在、②事情聴取や現場検証によるPTSDの悪化懸念、③立証の困難さや二次加害など日本の司法が抱える構造的な問題、という複数のやむにやまれぬ理由がありました。単純に「行かなかった」のではなく、「行けなかった」と理解するのが実情に近いでしょう。
- グラビア活動への批判について:PTSDを抱えながらグラビア活動をすることが「おかしい」という批判は、「被害者はこうあるべき」という社会の偏見に基づいています。専門的には、この活動は自分の身体の主導権を取り戻す「身体の再獲得」や「権限回復」という、トラウマからの回復における重要な治療的アプローチと捉えることができます。
- 「売名」「嘘つき」という批判の真相:これらの批判には客観的な根拠がありません。むしろ、示談書や診断書の存在は彼女の告発の信憑性を補強しています。著書の収益の一部を寄付する意向も示しており、単なる商業利用とは言えません。これらの批判は、事実に基づかない誹謗中傷であり、法的措置も検討される深刻な人権侵害となっています。
- 表現活動の持つ意味:性暴力という「魂の殺人」から回復する過程で、グラビアなどの自己表現は、加害者に奪われた身体のコントロールを取り戻し、自己肯定感を再構築する「エンパワメント」として、非常に重要な意味を持ちます。
渡邊渚さんの告発とそれに続く一連の行動は、性暴力被害者が直面する過酷な現実と、日本社会に根強く残る偏見や二次加害の問題を浮き彫りにしました。彼女の勇気ある声を安易に批判するのではなく、その背景にある複雑な事情を理解し、私たちが暮らす社会の課題として受け止めることが求められています。
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