
2025年夏の参院選を前に、国民民主党で起きた前代未聞の公認取り消し騒動が政界に衝撃を与えています。党が一度は比例代表候補として擁立を発表した山尾志桜里元衆院議員。しかし、その決定はわずか1ヶ月足らずで覆されました。この混乱劇の中心にいたのが、擁立を主導した玉木雄一郎代表です。
一体、この騒動の裏で何があったのでしょうか?玉木雄一郎代表は何をして、どのような責任を問われているのでしょう。そして、はしごを外された形となった山尾志桜里氏は、怒りの反論コメントを発表。さらに、この騒動は玉木代表自身の過去の不倫問題をも再燃させ、その相手とされる小泉みゆきさんの現在にも注目が集まっています。
この記事では、複雑に絡み合ったこの問題の全貌を、時系列に沿って徹底的に解説します。
- 山尾志桜里氏の公認決定から取り消しまでの全経緯
- 擁立を主導した玉木雄一郎代表の具体的な行動と責任
- 山尾志桜里氏が発表した怒りの反論コメントの全文
- 玉木雄一郎代表の驚くべき学歴・経歴、そして支える妻や子供の人物像
- 玉木代表自身の不倫相手とされる小泉みゆき氏の現在と、騒動後の動向
これらの情報を深く掘り下げることで、今回の公認取り消し問題の本質と、関係者それぞれの思惑に迫ります。
1. 山尾志桜里氏の公認取り消し、玉木雄一郎代表は何をしたのか?

2025年5月14日の公認発表から、6月11日の取り消し決定まで、わずか28日間。国民民主党内で繰り広げられた山尾志桜里氏を巡るドタバタ劇は、多くの人々に政治不信を抱かせる結果となりました。この一連の流れを主導し、そして最終的に断ち切った玉木雄一郎代表の行動と、彼が口にした「責任」について、詳しく見ていきましょう。
1-1. 迷走の1ヶ月、公認発表から取り消しまでの全時系列
一体何が起こっていたのか、まずは公認発表から取り消しに至るまでの出来事を時系列で整理します。
日付 | 出来事 |
---|---|
2025年5月14日 | 国民民主党が両院議員総会で、山尾志桜里氏ら4名の参院選比例代表での擁立を決定。玉木代表が主導したとされ、党内からは過去の言動への懸念も出ていた。 |
2025年5月15日〜17日 | 山尾氏がX(旧ツイッター)で「女系天皇」の議論を促す投稿。党方針と異なる見解に、玉木代表が「発言、発信には注意してほしい」と直接注意する事態に。 |
2025年6月4日 | 山尾氏が自身のXで記者会見の開催を表明。背景にはSNS上での批判の高まりと、説明責任を求める声があった。 |
2025年6月9日 | 党の全国幹事長会議で、全ての都道府県連から山尾氏の公認見送りを求める声が上がる。地方組織からの反発が極めて強いことが明らかに。 |
2025年6月10日 | 山尾氏が約2時間半に及ぶ記者会見を実施。しかし、過去の不倫疑惑について「当時の自分の行動と対応は極めて未熟だった」と謝罪するに留め、詳細な説明を避けたことで、さらなる批判を招く。 |
2025年6月11日 | 国民民主党が両院議員総会で、山尾氏の公認内定取り消しを正式に決定。玉木代表は「有権者、全国の支援者から十分な理解と信頼が得られないと判断した」と説明し、「代表の私にも責任がある」と認めた。 |
2025年6月12日 | 山尾氏が党執行部を痛烈に批判するコメントを発表し、離党届を提出。事実上の決別となった。 |
1-2. 擁立を主導した玉木雄一郎代表の責任とは何か?
山尾氏の国政復帰は、当選同期である玉木代表からの「憲法と、自分の国を自分で守る政策をもう一度、一緒にやろう」という声かけがきっかけでした。擁立を主導した張本人として、玉木代表は自身の責任をどのように語ったのでしょうか。
公認見送りを発表した6月11日、玉木代表は記者団に対し、以下のように述べています。
「有権者、全国の支援者から十分な理解と信頼が得られないと判断した。擁立をした代表の私にも責任がある」
「(対応が)遅かった、もっと別の対応があったのではないかという批判は真摯(しんし)に受け止めたい」
擁立当初から懸念されていた過去の不倫疑惑が再燃し、党支持率が下落する事態を招いたことについて、判断の遅れと責任を認めました。玉木代表としては、「過去は誰にもある。再チャレンジのチャンスを用意することも政治の仕事だ」という思いがあったと説明しています。
しかし、党内からは「玉木氏の見通しが甘かった」「自分の保身のために山尾氏を切り捨てた」といった厳しい批判の声も上がりました。結果的に、記者会見をさせておきながら、そのわずか24時間後にはしごを外すという対応は、党のガバナンス欠如を露呈し、玉木代表の求心力低下にも繋がりかねない事態となっています。
2. 山尾志桜里氏が玉木雄一郎代表に怒りの反論!何を言ったのか、コメント全文を紹介
公認取り消しという非情な決定に対し、山尾志桜里氏は沈黙を保ちませんでした。翌6月12日、彼女はメディアに向けて長文のコメントを発表。そこには、国民民主党執行部、とりわけ玉木雄一郎代表と榛葉賀津也幹事長への痛烈な批判と、一連の経緯に対する自身の見解が詳細に綴られていました。
2-1. 「統治能力に深刻な疑問」山尾氏の批判コメント要点
山尾氏が発表したコメントは、単なる失望の表明ではなく、党運営の在り方そのものを問う厳しい内容でした。その要点は以下の通りです。
- 執行部主導の要請だったはず:出馬は玉木代表と榛葉幹事長から重ねての要請を受けて決断したものであり、にもかかわらず公認取り消しを両院議員総会の決定という形にした執行部の責任逃れに強い違和感を表明。
- 党の都合による発表延期:当初4月下旬に予定されていた公認発表と記者会見が、「SNSでの批判の沈静化」などを理由に党の都合で何度も先送りされた経緯を暴露。
- 会見への同席拒否:6月10日の記者会見に代表・幹事長の同席を希望したところ、「辞退会見であれば同席する」と返答されたことへの深い失望。
- 性急すぎる結論:約2時間半の会見で意を尽くして説明したにもかかわらず、24時間も経たないうちに「公認取り消し」という性急な結論が出されたことへの驚き。
- 周知の事実を理由にした取り消しへの疑問:「今回問題とされた事柄は、全て公認時に周知されていたこと」と指摘し、それを理由に公認を取り消す党の判断に疑問を呈した。
- 党のガバナンスへの不信:「党から正式な公認内定を受けても、党の都合で排除されてしまう政党では、志ある方も今後立候補の決断にちゅうちょしてしまうのではないか」と、党の統治能力に深刻な疑問を投げかけた。
2-2. 【全文】山尾志桜里氏が発表したコメント
山尾氏の怒りと無念さが滲むコメントの全文は以下の通りです。
昨日6月11日、国民民主党の両院議員総会において、事実上の公認取り消しの決定を受けました。国政への再挑戦を決意しておりましたが、全国比例代表候補として、その場に立つことはかないませんでした。
昨年来、玉木雄一郎代表より、国民民主党からの国政復帰のお誘いを頂戴していました。本年に入り、改めて代表から具体的に夏の参院選での出馬の要請を受け、その後、代表と榛葉賀津也幹事長お二人同席の上で重ねてのご要請を頂戴しました。
悩み抜いた末、この大事なタイミングで党と国家に貢献できるなら微力を尽くしたいと考えるに至り、さまざまな環境を整えた上で、ご要請をお受けする決断をしました。
今回の両院議員総会での公認取り消し決定は大変残念です。
簡潔に公認決定・発表・取り消しの経過を申しますと、本年4月23日当日、党から決定した旨の連絡を頂戴しました。
ただ、その際あわせて、発表は先送りさせてほしい、そして同日予定していた代表・幹事長同席の記者会見も見送りたいとの説明を受けましたので、予定通りが望ましいのではないかと自身の意見は申し上げた上で、党の判断にお任せいたしました。
その後、「SNS等での批判の沈静化」「愛知県内における私の政治活動に対する愛知県連所属国会議員からの強い懸念」「他の候補予定者との一斉発表」などを理由として複数回発表の先送りの連絡を頂戴し、その都度意見は申し上げつつも、党の判断に従いました。
そして5月14日午前、本日発表との連絡を受け、他3名の候補予定者とともに発表いただきました。その日は、赤坂における国民民主党の街頭活動への参加のお呼びかけもいただき、玉木代表とともにマイクを握りました。
その後、ようやく政治活動を進めることが可能になったので、6月7日には後援会・支援者の皆さんと、事務所開きを行い、商店街の一角で事務所の運営を開始しました。
出馬会見に関しては、当初の4月23日の予定が持ち越されて一旦は宙に浮く形になっておりましたので、私としては早期の開催の意思を党にお伝えしつつ、党からの判断を待った結果、6月10日開催の運びとなりました。
代表・幹事長の同席を希望しましたが、辞退会見であれば同席するとのお答えは大変残念でした。ただ私には辞退の意思はありませんでしたし、会見するという自分の言葉を守る責任がありましたので単独で臨んだ次第です。
会見では、お答えが難しい点もありました。ただ、時を経てさまざまな関係者や家族や守るべき人がおり、自身の新たな言葉が誰かを傷つける可能性がある以上口にしないと決めておりましたので、全ての人の納得を得ることはできないだろうということも予測はしていました。
それでも意を尽くして説明し、質問が尽きるまでできる限り真摯(しんし)に対応し、今の自分自身の正直な言葉を届けた上で有権者のご判断を仰ぎたいと考えて臨んだ会見でした。
こうした経過を通じて、不十分もあったかと思いますが、その局面ごとに悩みながら、政治家として、党所属の組織人として誠実な対応に努めてまいりました。
そして6月10日の約2時間半の記者会見の後、さまざまな方からご連絡もいただき、少なからずご理解と励ましの広がりに感謝をしていたところ、24時間もたたないうちに「公認取り消し」という性急な結論を頂戴したことには正直驚きました。
明らかに執行部主導でご要請を受け、擁立いただいたにもかかわらず、執行部の責任において判断せずに、両院議員総会での決定という形をとる点にもかなり違和感がありました。
「有権者、全国の仲間、支援者からの十分な理解と信頼が得られない」とのことですが、公認取り消しという公党の判断理由として有権者に説得力を持つものなのか疑問もあります。
今回問題とされた事柄は、全て公認時に周知されていたことです。その事柄について何らか懸念があるのであれば、公認前に選対面談を設けご指摘を頂戴することができたなら、よりよい状況を作れたようにも思います。
面談日程が入らないガバナンスに違和感を覚え、公認前の4月15日に選対面談を申し出た際には、面談は不要とのご判断を頂戴した経緯もありました。
このように、党から正式な公認内定を受けても、党の都合で排除されてしまう政党では、志ある方も今後立候補の決断にちゅうちょしてしまうのではないでしょうか。
私自身の後援会をはじめ支援者の方々が、国民民主党からの出馬であるが故に、党の機関紙の10万枚以上のポスティングや党のポスター掲示などに汗をかき、活動を続けてくださっていたことに、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。精いっぱい、私からおわびとお礼を尽くしたいと思っております。また、この間あたたかい励ましをいただいた皆さまにも、感謝の気持ちをお届けしたいと思っております。
今回、私は政治家として「豊かで強い国。そして国民にあたたかい優しい国」という国家像をお示ししました。国政に再挑戦し、左右に偏らない寛容な中道政治を実現して、国家のために力を尽くす、その決意に揺らぎはありません。
この国政への固い意思を引き出してくれた国民民主党には感謝しつつ、その統治能力には深刻な疑問を抱いておりますので、今後は一線を画させていただければと思っております。さきほど、国民民主党には離党届を提出いたしました。
今後は、まず何より今回大変なご迷惑をおかけした後援会・支援者・関係者の方々におわびとお礼を尽くし、よく相談しながら、今後の政治活動について熟慮したいと思っております。
山尾志桜里
3. 渦中の人物、玉木雄一郎代表とは何者?驚きの学歴・経歴を徹底解剖
今回の騒動で、そのリーダーシップや判断力が厳しく問われることになった玉木雄一郎代表。彼は一体どのような人物なのでしょうか。東大法学部を卒業し、ハーバード大学への留学経験も持つ元エリート官僚という華麗な経歴は、しばしば注目を集めます。その学歴から政治家としての軌跡まで、彼の人物像を深く掘り下げていきます。
3-1. 東大からハーバードへ、財務官僚としてのエリート街道
玉木雄一郎代表の経歴は、まさに「エリート」という言葉がふさわしいものです。その輝かしい足跡をたどってみましょう。
- 出身高校:香川県立高松高等学校
- 出身大学:東京大学法学部 卒業 (1993年)
- 官僚時代:1993年に大蔵省(現・財務省)に入省。主計局総務課に配属されます。
- 海外留学:1995年、官費留学でアメリカのハーバード大学ケネディスクールへ。1997年に公共経営学修士(MPA)を取得しました。この留学経験が、後の政治家を志す大きなきっかけになったと語っています。
- 多彩な職務経験:帰国後は外務省中近東第一課への出向(ヨルダン、リビア担当)、大阪国税局総務課長などを歴任。2002年からは内閣府に出向し、石原伸晃行革担当大臣(当時)のもとで秘書専門官を務めるなど、政治の最前線にも触れています。
特に、行革大臣の秘書専門官時代には、当時の自民党幹事長であった安倍晋三氏から別の選挙区からの出馬を打診されたものの、「選挙するならお墓さんのあるところでやります」と、地元・香川への強い思いから断ったという逸話も残っています。
3-2. 野党代表としての歩みと「対決より解決」路線
2005年、財務省を退官した玉木氏は、小泉政権の郵政選挙で民主党から香川2区に出馬し、政治家への道を歩み始めます。落選を経て2009年に初当選して以降の歩みは以下の通りです。
- 民主党・民進党時代:政権交代を経験し、党内で政調会長補佐などを歴任。2016年の民進党代表選挙にも立候補し、蓮舫氏に敗れるも幹事長代理に就任しました。
- 希望の党・旧国民民主党時代:2017年の総選挙では希望の党から出馬。その後、同党の代表に就任します。2018年には民進党と希望の党の一部が合流して結成された(旧)国民民主党の共同代表、そして単独代表を務めました。
- 新・国民民主党代表として:2020年、立憲民主党との合流に参加せず、前原誠司氏らと(新)国民民主党を結党し、初代代表に就任。「対決より解決」「政策先導型」を掲げ、YouTubeチャンネル「たまきチャンネル」を開設するなど、新しい情報発信にも積極的に取り組んでいます。
官僚出身らしい政策通である一方、SNSを駆使して若者層にアピールするなど、柔軟な姿勢も持ち合わせています。しかし、今回の山尾氏を巡る一連の対応では、その政治手腕に大きな疑問符が付けられる結果となりました。
4. 玉木雄一郎代表を支える妻・子供はどんな人?離婚の噂の真相に迫る

政治家の活動は、家族の支えなくしては成り立ちません。特に今回のような厳しい局面では、家族の存在が大きな力となるでしょう。玉木代表の妻である恵理さんやお子さんは、どのような方なのでしょうか。一部でささやかれる離婚の噂も含め、その家族像に迫ります。
4-1. 妻・玉木恵理さんの輝かしい学歴と献身的なサポート
玉木代表の妻・恵理さんもまた、夫に劣らぬ素晴らしい経歴の持ち主です。
項目 | 詳細 |
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名前 | 玉木 恵理 (たまき えり) |
出身地 | 東京都 |
学歴 | 東京の大学を卒業後、ハーバード大学ケネディスクールに留学 |
結婚 | 1995年、ハーバード大学留学中に玉木雄一郎氏と大学内の教会で結婚 |
活動 | 夫の政治活動を全面的にサポート。選挙期間中は「『妻』です」と書かれたタスキをかけ、地元を回り、その気さくな人柄から恵理さん自身のファンも多いと言われています。 |
恵理さんは、玉木氏がハーバード大学に留学中に知り合い、結婚。その後、縁もゆかりもなかった香川県さぬき市に移り住み、夫の政治活動を支え続けてきました。2024年11月の不倫報道後、一時はメディアの前から姿を消したことで「消えた妻」などと報じられましたが、2025年5月には地元・香川での政治活動に姿を見せ、夫婦関係の健在ぶりをアピールしました。
4-2. 息子さんも超エリート?父親と同じ東大に進学したという噂は本当か
玉木夫妻には、1999年5月生まれの息子さんが一人います。息子さんの学歴についても、輝かしい経歴が明らかになっています。
- 出身高校:香川県立高松高等学校
これは、2015年3月に玉木代表自身がSNSで「きのう息子が高校に合格しました。私の後輩になります。」と投稿していることから確定情報です。高松高校は、玉木代表の母校でもあり、偏差値71を誇る香川県内トップクラスの進学校です。
大学については、「父親と同じ東京大学に進学した」という噂がありますが、これは確定された情報ではありません。しかし、高松高校の進学実績や、現在ご両親と同居していない状況から、県外の難関大学に進学している可能性は非常に高いと考えられます。
4-3. 不倫報道で浮上した離婚の可能性は?玉木代表の発言から読み解く
2024年11月の不倫報道は、当然ながら夫婦関係にも大きな影響を与えました。報道直後から離婚の可能性が取り沙汰されましたが、玉木代表は会見で次のように語っています。
「最愛の妻を傷つけた。妻とは今も話し合いを続けている。私はもちろん添い遂げたいが、いずれにしても一生謝っていきたい」
その後、2025年3月に役職停止処分から復帰した際の会見では、「『私の心が離れた』『極秘離婚』という報道もあった」と自ら言及した上で、「夫婦の信頼関係は揺らいでいません」と強調しました。恵理さんが地元活動に復帰したことからも、現時点で離婚はしておらず、夫婦で関係の修復に努めているものと見られます。
5. 山尾氏をめぐる混乱の裏で…玉木雄一郎代表自身の不倫相手・小泉みゆき氏の現在は?

山尾志桜里氏の公認取り消し騒動は、皮肉なことに、擁立を主導した玉木雄一郎代表自身の過去のスキャンダルに再び光を当てる結果となりました。2024年11月に報じられた不倫問題。そのお相手とされる元グラビアアイドルで高松市観光大使の小泉みゆき氏とはどのような人物で、現在どうしているのでしょうか。
5-1. 元グラドル・小泉みゆき氏とは?経歴と玉木代表との関係
小泉みゆき氏は、一体何者なのでしょうか。彼女の経歴と、玉木代表との関係について報じられている内容は以下の通りです。
項目 | 詳細 |
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名前 | 小泉 みゆき(こいずみ みゆき) |
生年月日 | 1985年4月23日 |
出身地 | 香川県高松市 |
学歴 | 香川誠陵中学校・高等学校 卒業 |
経歴 | グラビアアイドル、レースクイーンとして活動後、2019年に高松市観光大使に就任。 |
報道によれば、玉木代表と小泉氏は2022年頃から男女関係にあったとされ、2024年7月には高松市内のホテルで一夜を共にしたこと、同年10月には都内で密会していたことが報じられました。玉木代表はこの報道に対し「おおむね事実」と認め、謝罪しています。
さらに、小泉氏は単なる不倫相手に留まらない存在だった可能性も指摘されています。彼女は衆議院憲法審査会を熱心に傍聴しており、玉木代表の発言にヤジが飛ぶと「静かにさせて!」「黙れ!」などと声を上げ、護憲派の傍聴者を黙らせるなど、”女王様”のように振る舞っていたと報じられました。
5-2. 国民民主党の候補者だった?驚きの事実と小泉みゆき氏の今
二人の関係を巡っては、さらに衝撃的な疑惑が報じられています。それは、玉木代表が小泉氏を国民民主党の候補者として国政選挙に擁立しようと画策していたというものです。この報道に対し、玉木事務所は「(玉木氏が)個人的に立候補の可能性について話したことはある」と認めつつも、「党が正式に検討するには至っておりません」と回答しています。
不倫報道後の小泉氏の動向は、以下のようになっています。
- 報道直後:自身のSNSアカウントをすべて削除。高松市からは観光大使の活動自粛を要請される(解任はされず)。
- 2025年3月:XとInstagramのアカウントを再開。直筆のコメントで騒動について釈明し、タレント活動継続への意欲を示す。
- 不倫関係の否定:SNS再開後、「Flashの最初の報道から、交際も宿泊もとっくに否定済みです」と投稿。不倫を認めた玉木代表とは主張が食い違っています。
玉木代表側は会見で小泉氏を「一般人」と表現し、プライバシーへの配慮を求めましたが、小泉氏本人はSNSでの活動を再開し、タレントとしての活動に意欲を見せている状況です。両者の足並みは揃っておらず、この問題はまだ完全な解決には至っていないようです。
6. まとめ:山尾氏の公認取り消しと玉木代表の責任、そして今後の行方
今回の国民民主党における山尾志桜里氏の公認取り消し騒動は、多くの課題を浮き彫りにしました。擁立を主導しながら、世論や党内の反発を受けて方針を180度転換した玉木雄一郎代表のリーダーシップと党のガバナンス能力には、深刻な疑問が投げかけられています。
最後に、今回の騒動のポイントをまとめます。
- 迷走した公認劇:玉木代表が主導した山尾氏の擁立は、過去の不倫疑惑などへの強い反発から支持率低下を招き、わずか1ヶ月で取り消しという異例の結末を迎えました。
- 山尾氏の猛反発と決別:はしごを外された形の山尾氏は、党執行部の対応を「統治能力に深刻な疑問」と痛烈に批判し、離党届を提出。玉木代表との盟友関係は完全に決裂しました。
- 問われる玉木代表の資質:擁立の判断ミスや党内をまとめきれなかった責任に加え、自身の不倫問題が再燃したことで、玉木代表は党首としての資質を厳しく問われています。
- 家族の支えと不倫相手の今:妻・恵理さんは不倫報道後も夫を支える姿勢を見せていますが、相手とされる小泉みゆき氏は玉木氏とは異なる主張を展開しており、問題は未だ尾を引いています。
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